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首里城① ~礼節を重んじる国~

沖縄弾丸の旅2日目は天気予報通り朝から雨。
本日午後一の便で成田へ帰還するので、探索可能時間は正味3時間強。なので数を回るのはあきらめて、特に訪れたいところを選別して限られた時間の中で最大限の探訪を行います。

朝一で訪れたのは、国指定史跡・首里城


首里城ちゃん
これは首里城ちゃん 


2000年に登録された世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する9つの史跡の一つ。
言わずと知れた超有名な観光地でもあります。

まだ私が小学生のころ家族旅行で訪れていますが、その時の記憶にあるのは守礼門と正殿くらい。これは城の見方がまだ未熟であったというより、当時再建されていた建築物が限られていたことが大きかったと思われます。


まずは首里杜館(すいむいかん)地下の駐車場へ。
普通車は小型車扱いで、駐車料金は一回320円。
時間単位で金額が加算されたりしないので、お得な部類といってよいでしょう。

首里杜館には、ビジターロビー、情報展示室、総合案内、レストラン、売店、駐車場等がある。情報展示室では各種の模型やパネル、ビデオ映像等で、首里城について学ぶことができる。
首里城全体の大きさは、東西約400メートル、南北約200メートル、面積約5haほどあり、標高約120~130メートルの小高い丘の上に立地している。
昔は那覇の町からこのあたりを見上げると、丘全体が鬱蒼とした森に包まれているように見えた。
この首里の丘は聖地のような存在であり、別名「すいむい」とも呼ばれた。「首里杜館」の名前もそこからきているのである。
首里城公園HP参照)




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地下駐車場から首里杜館へ。イケメンというかかわいい系の男性キャラが出迎えてくれます。
地下1階のビジターロビーには城についての簡単な展示があります。



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城下ジオラマ

かなりの力作



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中核部分



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顔出しパネル



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「琉球王国のグスク及び関連遺産群」

今帰仁城
勝連城
中城城 は前日探訪済み。
本日は午前中だけで
首里城
園比屋武御嶽石門
玉陵
斎場御嶽
を探訪して帰還予定だが、果たして間に合うだろうか。



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面白いものを見つけました。「首里城公園スタンプラリー」。
こういうものがあると完全制覇をしないと気が済まなくなるのが性分。



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とりあえず1コ目のスタンプと首里杜館スタンプを押印 [1/25+1/2]

スタンプは全部で25ヶ所+特別スタンプ2ヶ所(首里杜館と系図座)に設置されており、完全制覇達成の暁にはさらに国王印が押印でき、記念グッズももらえるらしい。

このように観光地化され見どころが多い城だと、無目的に歩くだけでは見どころを見逃してしまう危険は大いにありますので、これらスタンプを全部回収しながら進めば自然に城内の見どころを網羅できるという現実的な利点もあります。



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守礼門口から外へ。出入口にある案内所でパンフレットを入手。

この案内所で100名城スタンプがあるか聞いたところ、ゴム印タイプのものを出してくれた。試し押しをしたところ状態は可だが、念のためシャチハタタイプのものはないか確認したところ、「ここにはないが城内の系図座には設置されている」との回答。それなら系図座というところで押すことにしましょう。わざわざ電話連絡までしてもらいお手数をおかけしました。



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写真撮影OKしてもらいました

その先にはあの有名な門が。



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守礼門

「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味である。首里城は石垣と城門の多い城であるが、中でもデザイン上バランスがとれ、エレガントな雰囲気のある代表的な門がこの「守礼門」である。中国風の牌楼(ぱいろう)という形式で建立されている。

首里城での多数の城門や建築物には「公式の名称」の他に「別名」が付けられている。それらの呼び名から往時の琉球人の詩的な感覚が読みとれる。守礼門は古くは「首里門(しゅりもん)」ともいわれたが、庶民は愛称として「上の綾門(いいのあやじょう)」と呼んだ。「上の方にある美しい門」という意味である。

1527~55年(第二尚氏4代目尚清王代)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されたが沖縄戦で破壊された。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもので、その後今日まで沖縄を象徴する観光施設として利用されている。2000年の記念紙幣2,000円札の絵柄にもなっている。
首里城公園HP参照)





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城内側から

守礼門は、沖縄県那覇市首里にある首里城歓会門の外、首里を東西に貫く大通りである「綾門大道」の東側に位置する牌楼型の門(楼門)である。日本城郭でいう首里城の大手門に値する。柱は4本で二重の屋根を持ち、赤い本瓦を用いている。

第二尚氏王朝の時代、中国からの冊封使が琉球に来た際には、国王以下の高官らが守礼門まで出迎え三跪九叩頭の礼をとっていた。沖縄戦で焼失したが、1958年に再建され、1972年には沖縄県指定有形文化財となった。

「しゅれいもん・しゅれいのもん」は、そこに掲げられた扁額の「守禮之邦」からきている俗称で、本来は「上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」という。これに対し綾門大道の西側(那覇港から来た際の、首里の街の入口)に位置した牌楼を「下の綾門(シムヌアイジョウ)」といい、「中山門」とも呼ばれていた(明治時代に老朽化のため撤去され現存していない)。なお、この対になっている二つの綾門がある道を、綾門大道と呼んでいる。

その創建年代の確定はできていないが、琉球王国第二尚氏王朝4代目の尚清王(在位1527~1555)の時に建てられていることは分かっている。またその頃は現在のような瓦葺きではなく板葺きであって、扁額は「待賢」であった。後に「首里」の扁額が掲げられるようになり、その後6代尚永王(在位1573~1588)の時に「守禮之邦」の扁額が作られた。それからは、中国から冊封使が来ている間は「守禮之邦」の扁額を掲げ、それ以外の期間は「首里」の扁額を掲げるということとなった。しかし9代尚質王(在位1648~1668)の時には「守禮之邦」の扁額を常掲するようになり、これが現在に至っている。

なお扁額となった「守禮之邦」という言葉は、尚永の冊封の際の中国皇帝(この時は万暦帝)からの詔勅にあった文言で、「琉球は守礼の邦と称するに足りる」というくだりから来ている。
(wiki参照)




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守礼門スタンプ

ここで大きな問題に気が付く。雨のためスタンプが異様に押しにくい!
なんとか台紙が濡れないように、インクがにじまないようにと苦心して押印。[2/25+1/2]



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背後からは修学旅行生の大軍現る。非常に微妙なタイミング。山城とかなら簡単に引き離すことができるけど、このような城郭だとあちこち立ち寄って写真を撮りながら進むこちらのペースと、見学ルートの最短距離をまっすぐ進むあちらのペースがかち合ってしまうことがあるので、ペースを上げるか並走するかやり過ごすか、一番悩ましいところ。


その②へ
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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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