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心眼寺

旧真田山陸軍墓地の西側は寺院が建ち並ぶ一角となっています。



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その中の一つ、興徳寺

ちょっとお邪魔します。



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小綺麗なお寺さんでした

ちなみに真田関係の表示は何もないので、無理して入る必要はありません(お寺さんも迷惑でしょう)。



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こちらが心眼時

興徳寺の北隣、少し坂を下ったところにあります。



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出丸跡を示す立派な石碑



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京都見廻組・桂早之助と渡辺吉太郎の墓所もあります

両者の名前に聞き覚えがあるという方は、幕末に詳しい方なのでしょう。坂本龍馬を暗殺した実行犯の中の2人とされています。



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真田丸出城

慶長19(1614)年、大坂冬の陣に際し、豊臣方の真田信繁(幸村)が惣構の空堀南側に築いた曲輪で、三日月形をした形から偃月城とも呼ばれた。冬の陣後の講和条件によって破却された。


「大阪市顕彰史跡第204号」ってありますげど、普通の市指定史跡と何か異なるのでしょうか。

※気になったので調べてみました↓

大阪市顕彰史跡とは、市制70周年記念事業の一環として、昭和34年より大阪ゆかりの史跡や文化財の所在地に、顕彰碑や顕彰パネルを設置し、市民の大阪の歴史に関する理解を深めていただく一助としています。平成27年4月で、211箇所が顕彰史跡となっています。(大阪市HPより)




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門には六文銭

心眼寺は元和8年(1622)に白牟(はくむ)和尚によって、真田信繁・大助父子の供養のため創建されました。白牟和尚は滋野氏の一族という説もあり、寺の定紋は六文銭、山号は真田山と称しています。



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写真のお堂の中には「まんなおし地蔵尊」が祀られています。「間の悪さ」を直すというご利益があるんだそうな。このお堂内で「真田丸をめぐるモデルコースと玉造スタンプラリー」と題した資料を入手。かなり詳細かつ分かりやすいマップがついているので、周辺を探索するにはこのマップはぜひ手に入れておきたいところです。



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従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓

真田信繁は、武田信玄配下の武将であった、父真田昌幸の次男、通称は源次郎、号は好白。
関ケ原の戦いでは父と共に西軍に付くも、戦いに敗れ、紀州九度山に幽閉される。14年間、蟄居生活を送り、慶長19(1614)年豊臣方に参加した。
大坂冬の陣では、難攻不落の大坂城唯一の弱点とも豊臣秀吉が危惧した、南惣構の外側に真田出丸を構築、そこで徳川方と壮絶な死闘を繰り広げた。
翌年の夏の陣で、信繁は茶臼山に本陣を置く。徳川本隊と戦い、徳川家康に迫るも力尽き、越前兵に安居神社付近で討ち取られたと伝えられる。

真田信繁は、一般に「幸村」として知られる。しかし現存最後とされる慶長20年3月19日付の書簡にも「左衛門佐信繁」と署名があり、生前「幸村」と名乗ったことはなかったと考えられる。
徳川時代中期にあたる18世紀のなかばころには、「幸村」の呼称が流布していた。本墓碑は、生前の確実な諱である「信繁」を採用した。
豊臣姓は秀吉が創始したもので、弟秀長や甥(のち養子)秀次ら親族のほか、毛利輝元や徳川秀忠(おそらく家康も)など有力大名も称した。

当寺は徳川時代より信繁の菩提を弔っている。信繁の四百回忌に際して、墓碑を建立する。
(現地説明板より)


今年の某大河は史実準拠とか言ってましたが完全に破綻しましたね。まあ私は「史実では」という単語を使うこと自体あまり好きではないので史実準拠が破綻しようが別に構わないのですけれど。「資料では」「文献では」「通説では」といった単語を使うほうが正確です。


真田丸めぐり 続く
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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