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勝連城② ~忠臣と反逆のカリスマ~

阿麻和利の話の続き。

第一尚氏は三山統一を実現したものの政情は不安定でした。力を増していた阿麻和利を政略結婚で王家に取り込もうとしたのも政情安定のためです。そんな中「護佐丸・阿麻和利の乱」が起こります。

かつて若き日に中山王の北山征伐軍に加わり先陣を切った軍団長・護佐丸(今帰仁城の項参照)は、第一尚氏王統建国の功臣として北山守護職を任じられたのち座喜味城に移され、海外交易で黎明期の第一尚氏王統の安定を経済的にも支えました。

勝連城を根拠地とする茂知附按司が勢力を拡大すると、尚巴志は1430年、中城の地領を護佐丸に与え、築城を命じた。さらに息子の尚布里を江洲、尚泰久を越来に置き、勝連を牽制した。護佐丸は、与勝半島を指呼に望む中城城の改築にかかり、1440年、尚忠が第3代国王となると、王命で同年に完成した中城城に居城を移した。

阿麻和利が茂知附按司を滅ぼし、対外交易で実力を蓄えた。1454年、王位継承権をめぐる王族の内乱「志魯・布里の乱」が起きて尚布里が失脚、尚泰久が第6代国王として首里に入ると、勝連城の阿麻和利の掣肘は護佐丸の双肩にかかった。護佐丸の娘を正室としていた尚泰久王は、長女百度踏揚を阿麻和利に降嫁させ、護佐丸・阿麻和利の有力按司との姻戚関係を後ろ盾に、内乱で失墜した王権の復興を図った。

しかし1458年8月、「護佐丸・阿麻和利の乱」が勃発した。王府史書によると、阿麻和利に対抗するため護佐丸が兵馬を整え、これを阿麻和利が護佐丸に謀反の動きがあると王府に讒言。尚泰久王が阿麻和利を総大将に任じ、中城城を包囲すると、王府軍と聞いた護佐丸は反撃せず、妻子とともに自害した。 (wiki参照)


ただしこの事件については様々な説があり、真相は不明となっています(後半に記載)。



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ウタミシガー

「ウタミシ」はお試し、「カー(ガー)」とは泉を意味する沖縄の言葉で、旧暦元旦の初拝の際に、水の量によって一年の豊作・凶作を占うことから、「ウタミシガー」という名前が付いたと伝えられています。この泉の水量が豊富にあるときは「サーイ年(不作の年)」、水が少ないときは「ユガフーの年(豊作の年)」と言われています。


水が少ないほうが豊作というのが独特ですね。覗いてみたら水はそこそこ満ちていましたが、つい数時間前まで激しい雨が降っていたので占いの範囲外でしょうか。そもそも元旦ではないですけれど。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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