FC2ブログ

記事一覧

勝連城① ~風雲児・阿麻和利の居城~

国指定史跡・勝連城
2000年に登録された世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する9つの史跡の一つ。

今帰仁村歴史文化センターを後にし、来た道を引き返し名護市を通過。再び沖縄道に乗り、沖縄北ICからうるま市へ。この時点で時刻は15:30。そもそも1城目の名護城探索の時点ですでに12時半になっており、スケジュールに無理がありすぎたということです。いくら私が常人よりちょっと歩き回るのが早いといっても、物理的限界というものがあります。
などとやや焦りながらr36からr16に入ると、正面の小高い丘の上に要塞のような城壁が見えるではないですか。これはキタ。一目見てキタと感じる城は久しぶりですよ。
ほどなくして城の麓に到着。道路を挟んで反対側にある無料駐車場へ。



P4100257.jpg
駐車場にある休憩所。休憩スペースのほか観光案内所や特産品の売店も併設されています。



P4100253s.jpg
休憩所内にはちょっとした城の資料も展示されています。よくまとまったパンフレットもあるので登城前に立ち寄って入手しておきましょう。航空写真の展示は光の反射で写りはイマイチ。



P4100254s.jpg
勝連城模型

城が現在のような形になったのは13世紀前後と考えられており、世界遺産に指定されたグスクの中でも最古級のものであるといいます。勝連半島の根元に位置する丘陵に築かれ、主に5つの曲輪からなっています。



P4100256s.jpg
左から「東の曲輪」、「四の曲輪」、「三の曲輪」、「二の曲輪」、「一の曲輪」という連郭式の縄張り



P4100255s.jpg
主要部分。一見2つの郭のように見えますが、最高所の1郭、大きな建物が建っている2郭、そこから階段で一段下がった3郭という3つの郭に分かれています。2郭と3郭の間が城壁や塀、堀などで区切られず、段差だけで区分けされているというのが珍しいとらえ方です。ちなみに展示されている建物はあくまでイメージであり、実際の建物の形態や数量は現時点ではまだ未確定とのこと。

休憩所を退出。城に向かってそこそこ交通量の多い県道を渡ると、鳥瞰図付きの説明板があります。



P4100260s.jpg
東方から見た往時の勝連城復元鳥瞰図

奥の海は中城湾で、左上方に中城城が見えます(この写真では切れているが)。

口碑伝承では、初代城主は英祖王系・大成王の五男であったといわれています。その後勝連按司(地方の権力者・豪族)は4代続き、6代目に世継ぎができないことから養子縁組により伊波グスクの伊波按司の六男が迎えられています。9代目の茂知附按司は圧政を敷き酒に溺れたことから、人々の信頼の厚い阿麻和利(あまわり)によって倒され、彼が10代目の城主となってからは勝連はますます栄えることになったといいます。

若くして勝連の按司となった阿麻和利は、人々から慕われ、海外貿易によってますます力を付けていきました。時の琉球王国尚泰久は、阿麻和利に脅威を抱き、懐柔策として自分の娘百度踏揚(ももとふみあがり)を嫁がせます。

時代の風雲児とも麒麟児とも称された阿麻和利のこの先については、次回以降に。



P4100263.jpg
説明板のある場所から城に伸びている写真中央の道は通行止め。右側の舗装路を使うよう表示あり。

上の鳥瞰図でも描かれているように、西原御門へ向かう登城路周辺は、かつて 「底なしの沼」と言われるほど水量豊富な湿地帯でした。侵入者への防御ラインとしての機能とともに、平時においては城の財政を支える農地として活用されていたと考えられています。



P4100265.jpg
四の曲輪城壁

登ってきて最初に現れる城壁。このあたりが西原御門の跡ですが、現状は地形がやや怪しくなっている程度。今後復元整備されるのでしょう。



P4100267.jpg P4100266.jpg
西原御門から見た両側の四の曲輪城壁。復元整備中のようで、城内向かって左手側の城壁は特に新しいものです。この左手側にはマチダ・ナケージガーと呼ばれる井戸があります(パンフレットには単なるカー(井戸)としか書かれていません)。

沖縄全域にみられる御嶽(聖地)の中でも、王府編纂の地誌『琉球国由来記』に記載されている、「マチダの御嶽」「ナケージの御嶽」に縁起を持つ特別な場所です。王国時代より神々と繋がる泉(カー)として、少なくとも300年以上の歴史を持った祈りの場であると考えられています。以前は「ヌールガー」と呼ばれていましたが、聞き取り調査より「マチダ・ナケージガー」であることが分かりました。旧暦の二月と八月に村の安寧を祈る「御願」を行う場所で、現在も地域の信仰の対象となっています。




P4100268.jpg
世界遺産の台座に乗った説明板



P4100269s.jpg
門口(じょうぐち)のカー

大きな川の少ない沖縄では「カー」という泉が水源であり、人々の暮らしの中心となっていました。ここは、旧暦の二月・八月の村の除災招福を願う行事が行われる場でもあります。名前の由来となっている西原御門から城内へ入る際に、訪問者が手足を清めるために使用していたといわれています。また、集落や港と反対側に位置する西原御門にこのカーが存在することから、身分の低い家臣が利用していたと考えられます。




P4100375.jpg
城址碑と城壁!

勝連城の紹介でよく登場するアングルです。撮影スポットの一つ。



P4100273.jpg
しかしこのカーブを描く独特の登城路、美しいですねえ。

城内には随所にイラスト付きの説明板が設置されており大変ありがたいことです。この登城路についても、以下の通りわざわざ説明がされています。



P4100272s.jpg
「右旋回の階段」

勝連城の各曲輪を結ぶ石階段は、城壁に沿うように右側から旋回して上る構造になっています。これは、敵軍による侵入を防ぐ工夫と考えられています。階段を急勾配にすることにより侵入者の体力を消耗させ、さらに右手側城壁より攻撃を加えることで、敵軍の機動力と攻撃力を弱める効果があります。また、敵軍による攻撃のアプローチを制限できること、高い場所から相手の兵力を確認できることなどの利点もあります。


タイトルからして右旋回そのものに特別な防御上の秘密があるのかと思いきや、普通に高所の利点と側射のことしか書かれていなかった(笑)



P4100275.jpg P4100276.jpg
南風原御門周辺や東の曲輪方面もまだ整備中のようです。ここには仲間ヌウカーという泉もあります。グスク時代、この地域の鍛冶屋(カンジャー)であった仲間家が使用していた泉であるという伝説から、「カンジャーガー」とも呼ばれています。



P4100277.jpg
上に登る前に、もう少し四の曲輪を探索してみます。


その②へ
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

04 | 2020/05 | 06
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: