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今帰仁村歴史文化センター

今帰仁城探索終了。城を後にするときに40人ほどの団体客と入れ違いになる。集団は好きでないので危ないところだった。さて、手元の共通券で今帰仁村歴史文化センターにも入館することができます。時間に余裕は全くありませんが、資料館の類はできるだけ入っておきたいところです。400円も払っていることだし。
ということでいざ。



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センター外観



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建物の入口前の庭には、今帰仁城にあった鳥居の足部分が展示されています。
昭和5年に建設されたもので、高さ約7.3m、幅約10.6mの大きな鳥居であったといいます。

それではセンター内へ。



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グスクのジオラマ

外郭内に駐車場の表示があるので、グスク交流センターや周辺駐車場が整備される以前の様子を表しているようです。



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国宝 金装宝剣拵(千代金丸)の複製

こちらのページでもエピソードとして取り上げた千代金丸です。オリジナルは那覇市歴史博物館に所蔵。
内容が重複するところもありますが、以下wikiより。

「金装宝剣拵 刀身無銘(号 千代金丸)」

刃長71.3センチ。刀身は平造りで庵棟、やや細身で先反り強くつく。地金は板目肌流れる。刃文は広直刃調、小互の目交じり、足葉入る。帽子は直ぐに先尖りごころに反り、長く焼き上げる。彫物は表裏に五本の細樋。無銘であるが、16世紀の作かという推定もある。
拵えの全長は92.1センチ。古代の頭椎太刀のような形の金製兜金が付いた柄で、「大世」の銘が刻まれている。鍔は赤銅地で木瓜型の板鍔、四方に四花型と猪の目形の透かしを入れ、鍍金毛彫り菊文を散らす。鞘は黄金色に輝く華麗なものである。柄は日本の長剣にしては珍しく片手用(かろうじて拳2つ分の幅がある程度)で、琉球独自の拵えである。ただし、太刀は本来が馬上での使用を考慮した片手打ち(片手用)であったことも考慮が必要である。
伝来は「千代金丸宝刀ノ由来」によれば、尚巴志により攻め滅ぼされた北山王攀安知の所持した宝刀で、城を守りきれなかったことに怒って、守護の霊石を切りつけ、更にこの刀で自害しようとしたが、主の命を守る霊力が込められた刀であり、死にきれず、重間(志慶間)川に投げ捨ててから命を絶った。これを伊平屋の住人が拾い上げて中山王に献上したという。




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「今帰仁の歴史」「今帰仁のムラ・シマ」「今帰仁の生活と文化」「太平洋戦争の沖縄戦」についての展示。歴史フロアーでは今帰仁城の沿革のビデオ解説や薩摩軍の琉球侵攻など知っておきたい情報が多いので、予備知識のない人はこちらで先に学習してから登城したほうがいいでしょう。ここの展示はもしかしたら撮影禁止だったかもしれないので、写真掲載はしないでおきます(沖縄戦についての展示室は撮影禁止ではなかったはず)。上で掲載した国宝千代金丸(の複製)は展示室外の正面フロアにあったから掲載しても大丈夫(かな)?

沖縄戦の展示室では投入された航空機・特攻機数など興味深い手作りの資料が並んでおり、ついつい見入ってしまいましたが、この後の予定がキッツキツなことをはっと思い出した。
もっと展示物を熟読していたかったが、後ろ髪をひかれつつも文化センターを退出します。

次は中山方面へ。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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