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今帰仁城③ ~北山国王の居城~

今帰仁城の築城年代は明らかでなく、13世紀に湧川按司が築城したとされます。当時の琉球は北山・中山・南山の三国分立時代であり、今帰仁城は改修を重ねつつ代々の北山王の居城となっていました。城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがい知ることができます。


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御内原のテンチジアマチジから城内最高所の主郭へ。きれいに整地されています。

北山は中山王の尚巴志に1416年(応永23年・永楽14年。1422年(応永29年・永楽20年)説もある)に滅ぼされますが、その後も今帰仁城は旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣されました。1609年の薩摩藩による琉球侵略の際には、その攻撃の第一目標となっています。



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版築による造成

土を敷いて突き固め、その土にまた土を敷き突き固める。それを何回も繰り返して、堅固な基盤を造成する土木技術のことを版築とよびます。版築は、古代中国の殷代(BC14~12世紀)の頃に確立され、日本へは紀元4世紀頃に古墳づくりの技術に伴って伝来し、のちに主として宗教建築の神社・仏閣の基礎工事や土塁などに用いられるようになります。沖縄県では1984年、ここ今帰仁城本丸の発掘調査で初めて発見されました。今帰仁城の本丸敷地は、もとは古生代石灰岩でできた岩山の頂上部で、東西に傾斜した地形になっており、そのままでは建物が建つような平坦な面ではありませんでした。そこで、まず山頂部をある程度削って平らにし、つぎに東西の斜面部に土留めの石を積み土げ、最後に内側に版築をして、平場を造成しています。本丸の発掘調査で9枚の層が確認され、第8層(13世紀末頃)で丁寧な版築造成が見られます。第8層の厚さは20㎝から120㎝あり、この層は更に1~5㎝の黄褐色や赤褐色の土層からなり、縞模様なっています。縞模様の層を敷えると、土を約30回も敷きならし突き固めていることがわかりなす。第8層のほか、第3層と第4層では、土と石を交互に敷きつめた平場造成がなされています。(説明板参照)




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版築表示のすぐ隣にはちょっとした展望所があり、登ってみると城の東側は深い谷が走っていることが分かります。谷の下流方向へ視線を移すと海原が広がり、いい眺めです。



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眼下には城壁に囲まれたもう一つの郭があります。高低差はかなりのものです。



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あの城壁の切れ目は門跡だろうか・・・

主郭探索後に降りてみることにします。



動画


谷の深さを感じ取れるでしょうか。
城壁ばかりに気をとられていましたが、見事な要害地形に築かれていますね。



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火神の祠」と「山北今帰仁城監守来歴碑記

火神の祠の建築年は不明ですが、今帰仁城監守が首里へ引き揚げた1665年頃に設置されたといいます。1713年の琉球国由来記や1742年の具志川家家譜の図に記されていることが根拠で、少なくとも17世紀頃には設置されていたと考えられています。

祠手前の向かって右手にあるのが「山北今帰仁城監守来歴碑記」。

今帰仁按司十世宣謨(せんも)が、 1749年に首里王府から今帰仁城の永代管理と典礼を司ることを許されたことを記念し、故地を顕彰すべく建立しました。今帰仁監守は尚巴志が1416年に山北王を滅ぼした5年後に第二子尚忠を派遣に始まり、その後、尚真王代に第三子尚韶威を派遣し、以後同家が代々世襲で現地の監守を勤めました。
碑文の内容は、三山時代の事績から説き起こし、今帰仁按司が今帰仁城を立派に治めたことを記し、後世の子孫に伝えるための顕彰碑となっています。同碑文は保存状態も良く琉球王国時代の地方監守の歴史を知る上で貴重な資料です。 (現地説明板参照)


山北今帰仁城監守来歴碑記は乾隆14年(1749)8月に今帰仁城内に立てられた碑文。撰文は尚宣謨・今帰仁王子朝忠(のち改名し今帰仁王子朝義)、揮毫は毛維基・城田親雲上天祐による。2002年に県指定有形文化財に指定された。
撰文をした尚宣謨・今帰仁王子朝忠は、代々北山監守をつとめた尚韶威・今帰仁王子朝典を元祖とする向氏具志川御殿の十世で、この具志川御殿は同家七世である向従憲・今帰仁按司朝幸のときの監守職廃止(康熙4年・1665)にともない、今帰仁から首里へと居を移していた。しかし居を移したとあっても、今帰仁城の管理は引き続き同家が行っていた。
ところが乾隆7年(1742)にこの城域を地域の住民の管理に委ねようという動きがでてきた。そこで尚宣謨・今帰仁王子朝忠は往事の経緯を上申し、同家は以後も今帰仁城の管理を任されることになった。この来歴を記した碑である。
現在、石碑は保存のため城外(隣接する今帰仁村歴史文化センター)に置かれている。 (wiki参照)


碑文の大意は以下の通り。

むかし琉球はいくつもの地域に分裂して治められていたが、最後は北山・中山・南山の三山が鼎立するようになった。そのとき佐敷按司であった尚巴志が立ち、三山を統一したが、北山は険阻でまた人も勇猛、中山からも遠くあり教化するのにも難しい。変乱の生ずる恐れもあるため尚巴志王は自らの次子である尚忠を監守として派遣した。そのご即位した尚徳王は酒に耽り色を好み、遂に臣民に叛かれ、尚円が推戴され王となるが、尚円王も大臣を派遣し監守せしめた。
そして弘治年間、尚真王は第三子である尚韶威を監守として派遣した。これが吾が元祖であり、以来われわれ一族が代々監守職をつとめることとなった。康熙4年になって、七世の向従憲が、命により首里へ居を移すこととなったが、その後もわが家が今帰仁城と旧跡の典礼を司ってきた。しかし乾隆7年に王府が城域を郡民に授け、典礼も行わせようとした。そこでわたくし尚宣謨が往事の事情等を奏上したところ、これまで通りわが家が城地を管理し典礼を司ることがゆるされた。わが家は元祖の尚韶威から北山を鎮守している、この徳と功はわが家の子々孫々におよぶものである。わたくし尚宣謨は来歴をここに記し不朽のものとする。

皇清乾隆14年己巳秋八月穀旦十世孫 尚宣謨・今帰仁王子朝忠 謹立。 (wiki参照)


康熙・乾隆という年号は世界史を学習した人にはなじみのある名前ですね。清の最盛期を築いた聖祖康熙帝と高宗乾隆帝の時代です。



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火神の祠内部

祠には第二監守一族の火神が奉られ、今帰仁上りの重要な拝所となっています。旧暦8月10日には今帰仁ノロ以下の神人が城ウイミの祭祀を現在も行っているといます。



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主郭内の様子

「発掘調査から見た今帰仁城主郭の変遷」という説明板があるので確認してみます。



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第Ⅰ期(13世紀末~14世紀前半)

グスク初期。山頂部の岩盤を削り平らにし、東西に傾斜した斜面に土留めの石積を築き、その内側に土を入れ版築敷地を造成した。館は掘立柱の建物で、周りを柵で囲い、外敵の侵入に備えていたと考えられます。



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第Ⅱ期(14世紀中期)

グスクとしての形が整う。柵のかわりに石垣が築かれ、掘立柱建物にかわり礎石建ての正殿(翼廊付基壇建物)が建てられた。また、中国産の陶磁器の使用が増え、城の勢力が強くなっていく様子がうかがえます。



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第Ⅲ期(14世紀後半~15世紀前期)

最も栄えた時期。第Ⅱ期の敷地よりも更に拡張され主郭が現在の面積に達する。この時期に初めて文献資料にも登場し、中国との貿易が行われていたことがわかっています。それを裏付けるように中国産の陶磁器が最も多量に出土しています。建物は礎石建てで、一棟は敷地南寄りに確認されました。



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第Ⅳ期(15世紀前期~17世紀前期)

中山王(尚氏)に征服され、城の繁栄の時期が終わる。中山より遠隔地にあるため、中山より監守(役人)が来て、北部地域を治める拠点として使用された時期です。敷地中央に並んでいる礎石は監守時代の建物跡。



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主郭から下の郭へ降りる場所はひときわ高く石塁が築かれており、櫓門の構造に近いものを感じます。



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疑似門を通過するとき視界の隅にちょろちょろ動く影があり、見るとそこそこ大きいトカゲさんを発見。ちょうどこのとき向かいから女性が登ってきて、このトカゲを見るなり悲鳴を上げていました。かわいいのに。



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門を通過すると下の郭へ続く下り階段。「同じ道を通って同じ場所に戻って来なければならない」という条件の下では、人は登り階段より下り階段のほうが心理的抵抗を強く感じるものです。ここでも主郭にはそれなりに観光客がいましたが、下まで降りて来たのはそのうち3割ほどだったように思えます。



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下の郭の全容が見えてきました。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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