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今帰仁城② ~聖なる拝所・二つの御嶽~

平郎門手前から再開。


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迂回用通路から平郎門へ。門の両側には銃座らしき窓も見られます。
ちなみにこの進入路の手前に係員のいる小屋があり、そこで入場券のチェックがあります。



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平郎門から通行止め箇所(外郭側)を見た様子



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門をくぐって内部へ・・・

平郎門の名称は、1713年に編集された『琉球国由来記』に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」と記載され登場します。1742年に描かれた『今帰仁旧城図』の史料にはこの場所が「本門」として記されています。

城としての機能を終え300年以上経った1900年代初め頃には、既に門は大きく崩落していたことが分かっています。1961年12月から翌年4月頃に現在の門の形に修理が行われました。



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門の天井は大きな一枚岩を乗せた堅牢な造りとなっています。



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内側から。左右に狭間があります。



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堅牢な造りの城門

弓矢や小銃などではびくともしない造りです。



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平郎門脇の城壁を内部から



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平郎門から入るとまっすぐな石畳道が続き、緋寒桜の並木道になっています。
左手には大隅(うーしみ)、右手には谷状の地形が広がります。



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右手の谷間地形。この地形はカーザフと呼ばれ(カーは川や湧泉を、ザフは迫で谷間を意味)、平郎門からはずれた右側のくぼ地になったところをいいます。両側が切り立った谷底になっており、露頭した岩盤に直接積んだ堅固な石積みは、城の守りをより強固なものにしたと想像されます。



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石段が続く

平郎門から直線的に伸びる石畳と階段は1960年代に整備されたもので、本来の登城道は平郎門から城内へ向かって石段の右手側にあります。戦後まもなくは土でできた坂道が城の中核部そばまで続いており、そこを米軍の車両が行き来していたといいます。そこで中枢部の聖地を荒らされないように、車が侵入できない石段を整備したと伝わります。

なおこの石段は七五三の階段と呼ばれ、踊り場のスペースを挟みながら「三・五・七」の順に段が繰り返されています。現地では全く気づきませんでしたが、写真を見返してみると確かにそのようになっています。また嘘か真か、この設計は人間工学的見地からも「登っても疲れにくい」構造ということらしいです。これも言われてみると、そこそこ階段が続いていたはずなのに全く疲れなかったような記憶があるような気が。



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本来の登城路(旧道)を歩くこともできます。七五三の階段の途中から旧道への分岐があり、階段を登り切ったところへ合流します(写真矢印が旧道へ続くルート)。



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旧道の様子(現地説明板写真)

1980年の発掘調査によって石敷きの小道が発見されています。旧道は大きな岩盤の谷間を利用して道幅を狭く造り、敵兵が攻め入っても大勢の兵隊が上の郭まで一気に入れないように工夫された作りになっています。



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大庭(ウーミャー)

七五三の階段を登りつめたところにある広場。政治・宗教儀式が行われたと考えられる場所で、首里城の御庭(うなー)と同様の機能を有していた郭と考えられています。大庭を取り囲むように、正面には正殿(主郭)、右側が南殿、北側の一番高い所に北殿跡があったと考えられます。北殿跡には建物跡とみられ礎石が今も残っています。



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志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑

今帰仁の城 しもなりの九年母
志慶真乙樽が ぬきゃいはきゃい


大意:今帰仁グスクの南にある志慶真ムラという集落に「乙樽」という美女がいました。黒髪が美しい乙女のうわさは国中に広がり「今帰仁御神」と呼ばれ時の山北王も側室として仕えさせました。何不自由なく暮らす幸福な毎日を過ごしましたが、高齢の王には長い間後継ぎが無く、王妃も乙樽も世継ぎを授かることばかりを祈っていました。やがて王妃が子を授かり、そのことを季節はずれの蜜柑が実ったことに例え、子供のはしゃぐ声に満ちた平和な様子を謡っています。 (説明板参照)




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ソイツギ城内下之御嶽

城内には御嶽(うたき)のイベ(最も聖なる場所)が2つあります。大庭の北西にあるソイツギは、『琉球国由来記』(1713年)に「城内下之嶽」、神名「ソイツギノイシズ御イベ」と記され、旧暦八月のグスクウイミという祭祀の時、今帰仁ノロが五国豊穣等を祈願します。御内原にあるテンチジアマチジ(「城内上之御嶽」)や神ハサギ跡と共に祭祀場として拝まれています。



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ソイツギから進むと大隅を眺めることができる御内原に出ますが、一番眺めがよさそうな場所は観光客で込み合っているな・・・



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上記のスポットは最後に回ることにして、先に進みます。
御内原から主郭(俗称本丸)の表示方向に進むと、主郭との境に石垣で区画された場所があります。



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テンチジアマチジ城内上の御嶽

御嶽とは、琉球固有の祭祀施設、琉球の信仰における聖域の総称で、神が存在、あるいは来訪する場所です。
テンチジアマチジは御内原(うーちばる)の南東側、低い石垣で囲まれる御嶽です。沖縄の古謡「おもろさうし」では「今帰仁のカナヒヤブ」と謡われ、今帰仁グスクの守護神として崇められる最も神聖な拝所です。俗にテンチジアマチジと呼ばれ、昔は御内原とこの区域は男子禁制で、城内の女官によって子孫繁栄、国家安泰、五穀豊穣を祈願したと伝えられています。旧暦七月のウプウイミ、八月のグスクウイミでは、今帰仁ノロによって祭祀が執り行われます。 (説明板参照)



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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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