FC2ブログ

記事一覧

今城 ~大王陵に築かれた城~

今城塚古墳は、大阪府高槻市郡家新町にある前方後円墳。国の史跡に指定されている。
造営時の6世紀前半では最大級の古墳である。宮内庁の治定は受けていないが第26代継体天皇の真の陵とする説が有力で、発掘調査が可能な大王陵になる。(wiki参照、以下引用部は同様)


芥川城から西へ進むと大型古墳の今城塚古墳があります。この墳丘を利用して築かれた城が今城です。
古墳の北側に古代歴史館があり、周辺の駐車場に車を置いて探索開始。



PA090411.jpg
1997-1999年度 本格的調査始まる

北側の駐車場から古墳へは連絡通路が設けられており、道中説明パネルが設置されています。こちらのパネルには外濠から鉄砲玉が出土し、織田信長の改変説が補強されたという記事が掲載されています。



PA090413.jpg
大地震の痕跡

文禄5年(1596)の伏見地震によって地滑りが起きたことが判明しました。
このほか「埴輪祭祀場の発見」「墳丘の構造が明らかに」「石室基盤工の発見」など。



PA090421.jpg
連絡通路を渡ると古墳前の広場に出ました。奥に見える墳丘の手前には埴輪列が並べられています。左下には古墳のミニチュアが展示されていますが、この模型はなかなか大きいものでした。比較対象の人物が写っていないので大きさが伝わらないのが残念。

摂津北部、三島平野の中央部に位置し、古墳時代後期の6世紀前半に築造された前方後円墳である。三島野古墳群に属する。墳丘の長さ190メートル、二重の濠がめぐっており、内濠、外濠を含めた兆域は340メートル×350メートルの釣鐘状の区画を呈し、淀川流域では最大規模の墳墓となっている。

古墳の被葬者は、形状や埴輪等の年代的特徴、また『古事記』『日本書紀』『延喜式』など文献資料の検討から、6世紀のヤマト政権の大王墓と推定され、6世紀前半に没した継体天皇とするのが学界の定説になっている。また、埴輪工房跡と目される生産遺跡新池遺跡との深い関連が指摘される古墳である。




PA090424.jpg
外濠から古墳外周の土塁を乗り越え、古墳の東側を巡る内濠を見たもの。こちら側は空堀となっています。

真の継体天皇陵である可能性が高いことから、戦前(1935-1944年)に設けられた臨時陵墓調査委員会においても、この古墳を「陵墓参考地に編入すべし」との答申が行われた。しかし、宮内庁は今城塚古墳の陵墓参考地指定については現在も難色を示しており、今城塚古墳から1.3キロメートル西にある大阪府茨木市の太田茶臼山古墳を継体天皇陵に治定している。太田茶臼山古墳の築造は5世紀中葉と考えられており、継体天皇が没したとされる年代よりも古い時代の古墳と考えられる。

この大王墓が、6世紀にいたって畿内北部の淀川水系にはじめて出現することは、それまでずっと南部の大和川水系の大和・河内にあった勢力から王権の主導権が移ったことを意味するとも考えられる。




PA090431.jpg
前方部の周囲の内濠は水濠となっています。かなり幅広で、近世城郭の水堀のようです。
深さは約2mで、濠底はほぼ水平に仕上げられていたといいます。

墳丘の荒廃が著しいことは、一時は織田信長が三好家を攻めた1568年(永禄11年)の摂津侵攻に際し築いた城砦として使われたためと理解されていたが、発掘調査の結果、1596年(慶長元年)の伏見大地震によって墳丘が地すべり性の崩壊を起こしたものと判明している。同古墳は宮内庁から陵墓及び参考地に指定されていないため、一般人が見学可能であるとともに、墳丘は近隣住人の散歩道になっている。環濠は現在は釣りが禁止されているが、公園化の前は魚釣り場として利用されていた。

高槻市では史跡公園としての整備を目指し、1997年(平成9年)以降、そのための情報を得るための発掘調査を継続的に行っている。
なお、7カ年に渡る復元整備事業が2011年3月で完了し2011年4月1日、日本初となるであろう埴輪祭祀場を発掘調査位置にレプリカにて復元し、また復元埴輪等を展示する今城塚古代歴史館と史跡今城塚古墳を一体的に公開し、世界に向けて歴史遺産として発信しすることとなった。




PA090442.jpg
埴輪まつりのステージ

発掘は、1997年(平成9年)から毎年、高槻市立埋蔵文化財調査センターが行っている。二重の濠を区分する内堤から形象埴輪や埴輪祭祀区が出土し、出土点数や埴輪祭祀区の規模が日本最大のものである。埴輪祭祀区は、東西62-65m、南北約6mの広さで、家形15、柵形25、蓋形4、大刀形14、楯形1、靱形1、武人形2、鷹匠形2、力士形2、冠帽男子1、座像男子4、巫女形7、四足動物(馬形など)18、鶏形4、水鳥形13の合わせて113点以上が出土した。なかでも家形埴輪は、高さが170cmもあり人の身長並みで、入母屋造りで、神社建築の屋根を飾る鰹木、千木があり、高床の柱を円柱で表現している。吹き抜けの構造で神社とも考えられる。




PA090443.jpg
大王の埴輪まつりの再現を見たい人は来場すべし



=============================================
所在:大阪府高槻市郡家新町
評価:★★

この日最後の登城で、実際は墳丘の頂部まで探索は行っていますが、真黒な写真だらけになったのでカット。妙に凹凸が多かった記憶があります。墳丘内では古墳に関する各種説明板がありましたが、城に関するものはなかったと記憶しています。古代史ではよく議論の的になる継体天皇の詳細はリンク先参照のこと。
=============================================
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: