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芥川城 ~西国街道芥川宿を抑える~

高槻市には芥川城という名の城が二つあり、現在は三好山に築かれた山城の方を便宜上芥川山城として区別しています。芥川山城は大阪府内でも有数の規模の山城で私的真百名城の有力候補ですが、時間の関係で登城することができず次回に持ち越し。今回は平地部分にある芥川城のみの探訪です。

芥川城は街道の経路などからJT医薬総合研究所周辺に築かれていたとされ、研究所西の殿町8付近には城址碑もあるといいます。時刻は17:30を回っており、探索時(10月)にはもう日が暮れてライトが必要となってくる時間帯。日が暮れると平地城館の探索(表示物発見)は一気に難易度が上がるのですが、果たして。



PA090406.jpg
薄闇の中、無事城址碑発見

石積に囲まれた屋敷の一角に設置されています。ミッション完了。
木の枝葉に埋もれてしまわないように、生垣は定期的に剪定がされているようです。



PA090407.jpg
屋敷の石積(城の遺構とは無関係)

芥川城は、いつごろ築城され、いつごろ廃城になったのかは明確に解っていない。古文書に「芥川城」と明記されているが、三好山にある芥川山城をさしている場合もあり複雑にしている。また芥川山城の築城後、平時の居館として活用されていたこともあるが、その後の経過については不明である。遺構は殆ど残っておらず石碑と小さな祠が残るのみとなっている。
推定地は、芥川橋から京都方面にまっすぐに延びていた西国街道が、現在の芥川2丁目付近で急に北に折れ曲がり、芥川3丁目付近で再び西に戻ってくる不規則な街道になっていることから、城を避けて西国街道が作られたと考えられており、JTの医療総合研究所を中心に荒川2、3丁目及び殿町が推定されている。

芥川城は芥川氏によって築城されたと思われている。芥川氏の本拠地は平安時代の芥川宿であり、鎌倉時代には幕府の御家人となり、この前後に築城したと思われている。高槻市史によると芥川氏は「非開発領主型の武士であっただろう」としている。その後、芥川氏の成長と共に城も拡大を繰り返し、南北朝時代には相当な地域へ拡張したと思われる。
しかし、応仁の乱で芥川氏は西軍の軍門に降り、その後摂津国人一揆が細川政元による鎮圧でこの地域の国人が没落した影響からか、芥川本家は歴史から名を消してしまう。ところが、その細川政元が延徳2年(1490年)12月に芥川を訪問すると、芥川周辺の本所領から強引に人足を賦課して建物を築いたとする記録存在しており、芥川城関係であった可能性もある。
再び芥川の地を細川高国の命をうけ、能勢頼則が再建に動き出すことになる。永正13年(1516年)には芥川山城を築城し、芥川城は平時の居館として活用されていたという説もある。
(wiki参照)



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所在:大阪府高槻市殿町
評価:

存在したであろうということ以外はほとんど不明の城。築城主の芥川氏についても出自は不詳で、西国街道芥川宿を抑えて発展した御家人と考えられています。遺構はないので一般の城好きの方にはおすすめしませんが、立派な石碑があり標柱ハンターにとっては無視してはならない城館です。
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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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