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烏帽子形城 ~楠木正成築城・国指定史跡~

九度山の真田屋敷(真田庵)からR370~R371橋本BP経由で大阪府入り。紀見トンネルを抜けてすぐの奥河内は山国育ちの自分から見ても中々の山奥っぷり。大阪は名神など高速では何度も通過していますが、下道で降り立ったのはいつ以来になるのかと振り返ってみると、たぶん2009年7月の千早城登城以来のことになると思われます(昔の訪問記録を記載したエクセルシートが消滅したため正確なところは定かではないが)。あの時も金剛山麓に向かいながら「大阪にも山深いところがあるんだなあ」なんて思ってたっけ。ちなみに上記の先行公開では「詳細は本編にて!」とありますが、当時の登城データは例によって消滅してしまっているので、またいつか再訪しないといけませんね。あの時はまつまさに車を停めてダッシュで本丸まで往復しただけだったので、次回訪問時はもう少しゆっくり見学してみます。



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今回は千早城の再訪はせず、河内長野市の喜多町にある烏帽子形公園に向かいました。公園内の烏帽子形山上に築かれたのが烏帽子形城で、山の南側にプールやトイレなどの施設があり、無料駐車場も設置されています。



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公園案内図

駐車場近辺には公園案内図のほか山の植生を現した図、その他各種看板があるのですが、城についてはっきり表示している説明板はありません。案内図にもわずかに「本丸広場」の記載があるのみ・・・
これは少し意外でした。



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訪問時(H27年10月)は遺構復原の工事中で、作業員の姿がちらほら見受けられました。登り口から整備された木の階段を登っていくと(距離は長くないがそこそこ急勾配)、主城域の下の部分に出ます。そのまま道なりに進めばすぐに主郭に到達していたのですが、目の前の工事作業員が道なりに進んでいったのですぐ後ろを付いていくのもなんだかなあと思い、左手のわき道へ進む。このときは適当に歩いても反対側から主郭に到達できるだろうと軽く考えていました。



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進んでいくと大堀切に遭遇。かなりの力技でよく形状が残っています。

先へ進むと土橋状になった通路が現れたり曲輪跡らしきが現れたりと、明らかに城域内っぽい雰囲気が続きます。なので進路はこっちでいいのかなあなどと思い(ここに至るまで案内図はおろか矢印看板一つすらなし)、さらにそのまま奥に進んでいくと・・・

道に迷いました(笑)

いや、一本道で来た道を戻れば間違いなく帰れるので遭難とは異なりますが、軽く現在地を見失ってしまいました。主城域とは逆の西側の峰のかなり奥まで進んでおり、もう少し進めば駐車場の西側に出てしまう勢いで、これはえらい遠回りをしたと急いで後戻りを開始です。ちなみにこの西側に峰にも削平地がいくつも見られ、主城域とは別ながらも広義では城域内に含まれていると思われます。最初の大堀切は、西側の峰と主城域を隔絶する役割を持っていたようです。



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元来た道を戻り、山頂へ向かう階段発見。堀底から一度土塁を乗り越え、谷状となったところ(堀切とは違う)からもう一度切岸を直登。このあたり、土塁が一列独立しているような面白い構造をしています。



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切岸を登り切ると北側の視界が開けています。周辺は丘陵地帯ですが、住宅がびっしり密集しています。眺めは良いですが、もやがかかって晴れている割には視界はいまいち。本日は大阪に入ったとたんスモッグみたいな天気になっています。



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何だあの塔は

失礼、ーフェクトバティー教団の大平和祈念塔でした。



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眺望があるこの場所が主郭跡。本丸広場の表示があります。
建物でも作るのでしょうか、縄張り(城の縄張りではないw)がされています。
古めの石塔もあり。



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ここに来て初めて城の表示物発見。内容を転記してもいいのですが、wikiの記述がやたら充実していたのでそちらを転載します。以下はすべてwiki参照。

楠木正成が築城した楠木七城のひとつで、上赤坂城の支城の山城である。東側斜面に烏帽子形八幡神社、北側斜面に烏帽子形古墳がある。2012年1月に中世から近世初頭にかけての政治・軍事の歴史を理解する上で重要として大阪府で70年ぶりの国の史跡に指定された。
横堀を利用した遊歩道や案内板などの整備が行われているが、烏帽子形八幡神社の神域とされたこともあり、市街地に近いにもかかわらず大規模な改変工事等は行われなかったため、随所に安土桃山時代の遺構が比較的良い保存状態で残されている。


烏帽子形城の国指定史跡指定年月日は平成24年(2012)1月24日。 大阪は史跡は多いのは間違いありませんが、国指定史跡の城郭は意外と少ないのです。特に中世城郭はそれほど知られていない印象がありますが、これまであまり積極的に推していなかっただけで、今後指定数が増える可能性はあります。っていうか70年ぶりの国指定史跡というのもかなりのことですが、昭和9年国指定の千早城以来78年ぶりという情報もあります。こちらのほうが正しそう。

標高182mの烏帽子形山の山頂部に位置し、北と西は断崖でその足元には石川、東側は河岸段丘が広がり天見川に落ち込んでいる。よって、東西北の三方は川に囲まれ、南方のみを開けた構造で外堀の役割を果たしている。付近には、京と堺と高野山を結ぶ東高野街道と西高野街道が高野街道に合流する地点があるほか、河内国から和泉国へ抜ける河泉街道、紀伊国とを結ぶ九重道、大和国へは大沢越えの道などが分岐しており、交通の要衝であった。




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復元予想図

城郭の規模は、東西約180m、南北150mと比較的小規模な部類に入る。ただし、多彩な構造物が施されており、瓢箪型の主郭とそれを取り囲む逆L字型の腰曲輪を中心に土塁と横堀が作られ、尾根には堀切、主郭の北側には切岸が設けられている。当域周辺の諸城では、堀切が用いられるのが多いのに対して、当城は土塁と横堀の多くが効果的に配置された構造になっている。
現在の城郭は、織豊系城郭の三要素のうち、瓦の使用と礎石建物の建造が当てはまることから、中世の土塁を主とした城郭から発展していく過渡期のものであると推定されている。


主城域の曲輪の規模が小さいことと比較すると、周囲を取り巻く横堀は過剰と言えるほどの掘り込みようです。



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主郭下曲輪

元弘2年 / 正慶元年(1332年)、楠木正成が上赤坂城の支城として築城の伝承があり、南北朝時代に主に南朝の楠木氏の城として北朝の畠山氏との争奪戦が行われたと伝えられる。平家物語には源行家が篭城した「長野城」が登場するが、当時の烏帽子形城があった地域が長野荘と呼ばれていたため、有力候補地のひとつとされている。高野街道を眼下に見下ろす要所の地にあるため、室町時代・戦国時代には義就流畠山氏と政長流畠山氏の家督争いによる争奪戦が行われ、応仁・文明の乱へと発展していた。




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こなら広場の表示があるこの曲輪が二郭

天文年間には楠木正季の子孫である甲斐庄氏の当主隆成が城主であったが、敵対する義就流畠山氏の畠山定国によって落とされ、代わって碓井定純が入城した[要出典]。元禄10年(1567年)には三好三人衆が立て篭る当城を根来寺衆徒が攻めるが、落城しなかった。元亀年間には甲斐庄正治(橘長治)が入り、畠山高政や根来寺衆徒等が幾度も入城して三好長慶に抵抗した[要出典]。正治はキリシタンであったため、城下でキリスト教を奨励し、南河内の一大拠点として大いに賑わいを見せた。




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二郭虎口からの長大な横堀

ここがこの城最大の見どころと言えそうです。

正治は徳川家康の家臣となって遠江へ移ったため、畠山氏滅亡後は、畠山氏の遺臣団である烏帽子形衆が織田信長の家臣団に組み込まれ、当域を支配した。天正3年(1575年)には織田信長が河内を平定し、城郭の破却、徳政令を発布したが、当城は徳政令に背く金剛寺に対する拠点や周辺地域の戦略上の拠点として、そのまま維持された。




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堀底道を歩く

烏帽子形城岸和田城主である中村一氏の支城となり、天正12年(1584年)には豊臣秀吉の命により紀州攻めの拠点として改築なども行われ、翌年に紀州が平定された。天正15年(1587年)には、キリシタン禁制により、キリシタン領主たちは、当域を追放され聖堂も破壊された。その後の当城は、特に使用されることなく放置されただが、大坂の陣で正治の子正房が幕府方として河内の道案内を行ったことにより甲斐庄氏は戦後加増されて旗本として再び故地である烏帽子形城に戻ってくることが出来た[要出典]。しかし、大規模なこの城を維持できずに元和3年(1617年)に廃城処分にした。 



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所在:大阪府河内長野市喜多町
評価:★★★☆

大阪で見ることのできる「土の城」の見本。適度な規模で整備状況もよく手軽に探索できる点が高ポイント。ただし表示物が少なく、城址碑がないのがマイナス(城址碑ついては平成28年に麓に立派なものが設置されたらしい)。探索時の評価は三ツ星相当でしたが、国史跡に指定されたことに敬意を表して星半分進呈します。私的真百名城候補へはあと一歩。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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