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和歌山城⑥ ~刻印たくさん、ねこもたくさん♪~

岡口門から西側へ進みます。



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南堀跡

周囲と比べて明らかに一段低く、明確に堀跡と分かります。
かつては水堀であったようですが、現在は空堀でつつじ園となっています。



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堀底から南の道路側へ。この周辺は城とその南側に続く岡山砂丘の間の切通しにあたり、三年坂という名がつけられています。現在は県道となっており、往時より拡幅され、より切り下げられているとのこと。



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不明御門跡

「あかずの門」とも言われ、急を要する場合にのみ使われたとも、遺体や罪人などを出す不浄門として使われていたともいいます。通常は閉じられたままであったとも。
城の南側の三年坂に面した場所にあり、現在は駐車場のゲートが置かれています。



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素晴らしい高石垣

この門の東側は南堀(現在は空堀)を掘りましたが、西側は砂丘で水堀を設置できなかったため、代わりに高石垣を築いています。



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城址碑があったり城をかたどった何かがあったり



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駐車場ゲートを超えると枡形がそのまま残っており、折れを経てすぐ駐車場になります。ここに駐車していたら遅くとも2時間以内にはすべて見学終了していただろうなあと感じます(料金設定の都合上)。駐車料金を気にしないとこんなにのんびり見て回れるのか。この時点できっかり17:00。



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駐車場の右側奥に先ほど上からのぞいた動物園(水禽園・童話園)への入口があるのですが、入園時間が17時までなので、ちょうど閉園したところでした。ちょっと前から閉園のアナウンスが聞こえたりしていたので予測はしていましたけれどね。



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閉園時間を過ぎても、ある程度は自由に見学できたりします。
でもクマの檻には何もいなかったなあ。奥に引っ込んじゃったのかな。



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駐車場からの動物園入口も石垣がよく残ります。南の丸へ入る門が設置されていたところでしょうか。
頭上には天守の姿も見えます。



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駐車場にあった観光マップ

太田衆関係や雑賀衆関係の史跡が詳細に記されていて、観光マップにしてはかなりマニアック。



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新裏坂

駐車場から天守へ向かう最短ルート。勾配はなかなか。



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不明門跡脇の高石垣の上に出ました。この場所からだと切通しとなっている三年坂の形状がよくわかります。



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同じ場所から視線を右手(西側)へ。切通しの向こうに奥山公園と近代美術館・博物館を確認できます。
写真に写っている奥山稲荷社の奥に岡山の時鐘堂(県指定史跡)があるのですが、さすがにこの位置からは見えないか・・・

1712年(正徳2年)、和歌山城の西側(*注:南側が正しい気がする)に隣接する小高い丘上(現在の和歌山県立近代美術館の東側)に紀州藩5代藩主徳川吉宗の命により設置された鐘楼である。鐘楼は2階建ての堂の形式で建物高さは8メートルを超える。2階の大梁に吊下げられている梵鐘は、1615年(元和元年)の大坂夏の陣における豊臣方の青銅製大筒を紀州藩が取得し砲術家勝野五兵衛が管理していたものを2代藩主徳川光貞が粉河の鋳物職人蜂屋安右衛門に命じて改鋳させたとされる。堂前にある「禁殺生」の石碑は、初代藩主徳川頼宣が儒学者李梅渓(1617年-1682年)に命じて書かせたと云われている。

藩政時代にわたって時刻および非常事態を城下に知らせていた施設で、明治維新後も1921年(大正10年)3月末まで時報として鳴らされていた。その後は長らく打鐘されなかったが、終戦3周年にあたる1948年(昭和23年)8月15日に和歌山ユネスコ協力会(現和歌山ユネスコ協会)により「平和の鐘」打鐘会が開始された。この会は時鐘堂から全国に広がり、2000年に始まった日本ユネスコ協会連盟の「平和の鐘を鳴らそう!」運動へと発展している。 (wiki参照)




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護国神社



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ねこちゃんがこっちを見ている!!

神社の隣の会館は床下部分が広くあいていて、どうもそこがねこちゃんの住処になっている模様。



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神社境内を含むこのあたり一帯は砂の丸と呼ばれています。
連立式天守群も見えたり見えなかったり。



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新裏坂周辺石垣 

打ち込み接ぎの石垣で、和泉砂岩が主。浅野期と徳川期に築造され、刻印がある石材は浅野期に多く見られるとのこと。この城は野面積み・打ち込み接ぎ・切り込み接ぎの主要三種の石垣を見ることができる珍しい城です。基本山上に近づくほど古い形式の石垣になっていきます。



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城内には2110個の刻印石があり(よう数えたな)、うち新裏坂周辺だけで854個と、約4割が集中しているのだそうです。ざっと見ただけでも、いくつもそれらしいものを見かけました。余裕のある人は説明板に掲示されている刻印すべてを探してみるのも面白いかもしれませんね。



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神社入口の鳥居周辺はにゃんこパラダイス。餌を与えている人がいるのか、マメ(*注:私は乾燥タイプのねこエサのことをこう呼んでいます。一般的には「カリカリ」と呼ぶ人が多いあれのこと)を一生懸命食べていました。かわいい・・・



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護国神社参道入口

マメを食べ終わったねこたちがうろうろしています(笑)


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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