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和歌山城① ~御三家・紀州徳川家の居城~

弥勒寺山城(秋葉山公園)を早々に撤収し、いよいよ本日のメイン、いや、今回の遠征全体でもメインといっていい和歌山城に向かいます。

紀州は尾張・水戸と並ぶ御三家の一つで、暴れん坊将軍8代将軍吉宗を出したことでも有名。14代将軍家茂も紀州徳川家出身で、なにげに御三家のうちで征夷大将軍を出した唯一の家であるのです(15代慶喜は水戸徳川家出身ではあるが水戸家の当主にはなっておらず、一橋家当主の身分から将軍となっているので除外)。

しかしその「御三家の城」の割には和歌山城の知名度はそれほど高くないように感じます(特に関東圏では)。同じ御三家の尾張名古屋城が圧倒的すぎる知名度を誇っており、その陰に隠れてしまっているということもあるのかもしれません。果たして現状やいかに。



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かなり離れたところからも確認することができる和歌山城の雄姿

現時刻は15:00。まずは城の近くにある本日宿営のホテルへ。チェックイン可能時間早々にチェックインするのは初めてのことです。和歌山城周辺には有料駐車場がいくつかありますが、ホテルの駐車場に車を停めることができたのでこれで駐車料金を気にせずにすみます。日没までの残りの時間をすべて探索に当てますよ。
なお、この手法は次の第2次四国遠征でも用いることになります。



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さて、さっそくホテルから城へ向かうと、和歌山市役所の前で「木下次郎四郎屋敷跡」の標柱を発見します。
説明書きによると、この周辺は城内三の丸にあたり、藩政期には上級武家屋敷などが建ち並んでいたとのこと。木下次郎四郎は1700石持ちの家臣であったという。
城館として単独でページを分けるまでもないのでここで掲載しますが、一応太字表記にはしておきました(笑)



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写真左下が標柱の場所。正面は和歌山市役所庁舎。

三の丸にはほかにも紀州藩の重臣である水野家や安藤家、三浦家などの上流藩士の邸宅が建ち並んでいました。廃藩置県の後は、公的機関や学校、商業施設、オフィス街などの和歌山県の中枢を担う施設が立地しています。



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市役所前の道路を渡ると西の丸

藩主の隠居所として設けられ、自然風雅を楽しむ場所。書院や能舞台、南側には内堀を利用した紅葉渓庭園があり、数寄をこらした建物が建ち並んでいたといいます。



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西の丸から見た本丸天守群

思ったよりも高いところに築かれており、威厳があります。



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西の丸の一角には「わかやま歴史館」という施設が建っています。立ち寄ろうか迷いましたが、城の探索を優先させるために後回しにしました。結果論から言うとこの時に入っておけばよかったのですが、それについてはまた後で触れます。



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城内案内図

こういう図を見るとわくわくしてきます。現在地は右下の赤丸地点。
この案内によると、城内は天守以外は無料で見学できるようです。素晴らしいことです。ただし動物園、西之丸庭園、御橋廊下などは時間制限があるため(9:00~17:00)、早朝や夜間は入れません。



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目の前の西之丸庭園へ こちらは北門

西之丸庭園は通称「紅葉渓庭園」とも呼ばれており、その名のとおり季節には見事な紅葉が見られます。
昭和60年には国の名勝に指定されています。



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江戸時代初期に、紀州藩初代藩主徳川頼宣が和歌山城北西隅の西之丸に隠居所の御殿と共に築いた池泉回遊式庭園である。 虎伏山麓の斜面という立地を生かして湧水を利用した2段の池と瀧を設け、さらに内堀の一部をもう一つの池として庭園に取り込むことで広がりをもたせており、内堀の畔に池亭「鳶魚閣」を配することにより連続性を確かにしている。

江戸時代初期築造の大名庭園において日本屈指の名園と評されていたが、明治維新後は長らく荒廃していた。しかし城郭内に現存する庭園の遺存例は極めて少なくその希少性もあって文化庁主導の下1970年代より大掛かりな発掘調査と復元整備が開始され、1985年11月27日国の名勝指定を経て、2006年4月に御橋廊下が復元されている。 (wiki参照)




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「上の池」にある「御舟石」(中央)

神仙世界から訪れる宝船の象徴的表現といわれ、また池の形状から「心字池」の一種といえるかもしれないとのこと。(パンフレット参照)



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内堀と連結した広大な池

左手にある釣殿風の建物は鳶魚閣。室内は四畳半の畳敷で、江戸時代には西の丸御殿と斜め廊下でつながっていたといいます。名称の由来は「詩経」の一節からとられたという説が有力。

その奥に見えるのは御橋廊下



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こちらは庭園の南側入口・茅門



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茶室紅松庵

1970年の発掘調査で確認された茶室の遺構に建てられた数奇屋造の茶室。1973年に和歌山市出身で名誉市民の松下幸之助が寄贈したもの。名称の由来は紅葉渓の「紅」と松下氏の「松」から。

ここには徳川時代にも数寄屋が立っており、浅野時代には数寄屋から鎖之間、書院へと続く書院式茶室があったとのこと。



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御橋廊下へ



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ここも西の丸の一角



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高灯篭

文政8年(1825)、紀州藩10代藩主徳川治宝が紀淡海峡を遠望できる水軒御用地内に高灯篭1対を建立したものの片方。高さ4.15m。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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