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吉原坊舎 ~秀吉の紀州侵攻で消失した城郭寺院~

みなべ町から印南町~御坊市を経由して美浜町へ。
美浜町の吉原地区にある松見寺が吉原坊舎の跡地となります。
吉原御殿吉原御坊といった表記もあります。



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松見寺

周辺の道は狭いので通行注意。



PA080113.jpg PA080111s.jpg 
周囲の石積みは後世のものでしょうが、雰囲気があります。
立派な吉原坊舎跡の石碑もあり、これだけで満足。



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本堂

中世、湯川氏が紀州の政治史に大きな位置を占めていました。室町幕府の奉公衆として活躍、丸山の地に亀山城小松原館を構え、戦国時代には、有田から牟婁地方まで勢力を拡大します。11代湯川直光は、摂津の戦で苦戦していたときに本願寺に助けられたことから入道し、息子の信春を仏門に帰依させ、日高別院の前身となる吉原坊舎を建立します。しかし、天正13年(1585)、羽柴秀吉の紀州攻めで戦火にかかり、湯川氏は滅亡してしまいます。 (御坊市HP参照)


この地は、天文年間(1532-55)亀山城主・湯川直光が、本願寺十世証如より受けた恩義に報いるために創建した一向宗(現在の浄土真宗)の道場「吉原坊舎」の跡である。
坊舎の寺域は今の松見寺の二倍を超え、周囲に土塀や堀を巡らせた広大な城郭寺院であったが、天正13年(1585)、羽柴秀吉の紀州南征の際、惜しくも消失した。
吉原坊舎はその後再建され、現在の日高別院となった。 (現地説明板参照)



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所在:和歌山県日高郡美浜町吉原
評価:★☆

城郭の構えを持つ寺院ということで城館扱い。秀吉の紀州侵攻により湯川氏は滅亡とありますが、湯川直光の次男(法名祐存)ら一族は本尊を持って熊野に逃れ、翌年には日高に戻り 薗浦の椿原に仮堂「薗坊舎」を建立します。この流れが現在の日高別院へ繋がっていくことになります。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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