FC2ブログ

記事一覧

田辺城 ~水門のみ残す近世城郭~

扇ヶ浜台場からすぐ西、会津川河口部の東側一帯が田辺城の城域であり、その西端部分が現在錦水公園となっています。別名錦水城とも。



PA080047s.jpg
錦水公園

駐車スペースは2台分。


1605年(慶長10年)に洲崎城が波浪によって破壊されたことを受けて、1606年(慶長11年)に浅野家の家老・浅野知近によって築かれた。1615年(元和元年)の一国一城令の後は改築して陣屋とされ、1619年(元和5年)までは氏重が城主であった。当時から城郭は整備されていたと考えられるが、『田辺町大帳』によると、同年に紀州徳川家が転封されて付家老の安藤直次が3万石を受領して田辺に入城した際には城がなく、旧家を宿としたともいう。これは前記の改築が続いていたためともされる。以降は明治時代まで安藤氏が城主を務め、与力・同心の給禄を合せて3万8,800石の規模であった。

1791年(寛政3年)に大島樫野浦(現・東牟婁郡串本町、紀伊大島樫野埼)にアメリカ船が来航してから沿岸警備はより厳重になり、田辺城でも大規模な改修が行われた。『田辺沿革小史記事本末』には、1831年(天保2年)の改修で、それまで竹垣で囲っていた塁上の柴垣に壁を設けて銃眼を穿った記録がある。1863年(文久3年)には外国船からの攻撃を恐れて下万呂(現・田辺市下万呂)に城の移築を決め、年末には工事に着手したが、翌年に工事延期を通達したまま取り止めになっている。1868年(慶応4年)に16代目の安藤直裕は紀伊田辺藩として独立し、翌1869年(明治2年)には同心60名をその給禄とともに紀州藩に還付している。1871年(明治4年)の廃藩置県と同時に城は払下げられ、城郭は破却された。城跡には多くの民家が建てられ、錦水町という地名になっている。そのため、現在は一部の石垣と水門が残るだけである。 (wiki参照)




PA080055.jpg
現地説明板より

1869年(明治2年)の田辺城図や『田辺要史』によれば、本丸には平屋造の表御殿、奥御殿、対面所など数十棟があった。二の丸には家老や用人、留役、奉行などの詰所などがある。南側の二の丸との間に土蔵があり、城門は東向きの長さ八間の楼門で、裏門が二の丸側に、水門は会津川側にあった。 (wiki参照)




PA080058.jpg
錦水神社

この左手に下へ降りる階段があります。



PA080066_201607242214394cd.jpg
階段を下りて・・・



PA080064_20151012092824e0f.jpg
田辺城水門遺構

この城のほぼ唯一の見どころといっても差し支えないでしょう。



PA080063.jpg
水門周りの石垣を見るとここだけは確かに近世城郭の雰囲気を感じることができます。



PA080062.jpg
水門は現在もしっかりと会津川につながっています。頭上に道路が走っているため、こちら側は両側をコンクリで固められています。



PA080068s.jpg
会津川沿いの道路わきにある説明板

田辺城水門  田辺市指定史跡(昭和51年3月13日指定)

田辺城は関ヶ原の合戦後、紀伊国に入国した浅野幸長の執政・浅野左衛門佐氏重によって、慶長11年(1606)会津川左岸河口に築城されました。
その後、元和5年(1619)紀州藩主徳川頼宣の附家老・安藤帯刀直次が田辺領主となりましたが、安藤直次は紀州藩の重臣として和歌山城下に常駐していたため、田辺城には直次の従弟・安藤小兵衛を留守居役として置き、小兵衛家が代々城代家老を務めていました。
明治3年(1870)田辺城は廃城となり、遺構の多くは姿を消しましたが、埋門型の水門とそれに続く石垣が当時の面影を留めています。




PA080070.jpg
上から見た水門の様子



=============================================
所在:和歌山県田辺市上屋敷3丁目
評価:★★

水門のほかは遺構は残っていないようで、城域のほぼすべてが市街地となって遺構湮滅しています。近世城郭でありながらここまで遺構が残っていないケースも珍しいのではないでしょうか。水門遺構が珍しいとはいえ、二つ星は少々甘いかもしれません。ちなみに城下の町割りは外敵の侵入を遅らせるため全てT字路で交わるように計画されたといい、現在の道路地図(上屋敷2丁目・3丁目あたり)を眺めてもその名残が残っていることがうかがえます。
=============================================
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: