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古武之関城 ~安宅荘の詰めの山城か~

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再び案内板「安宅荘を歩く」より

勝山城の東に古武之関城の表示があります。
この城についてですが、ネット上では登城記録はおろか、何かしらの説明がなされているサイトすら見受けられません(唯一余湖さんのHPで存在に触れられているのみ)。



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案内図と照らし合わせておおよその場所を比定。感覚的にもあの場所は山城が築かれそうな雰囲気を持っています。



安宅
国土地理院地形図より 古武之関城の位置は推定・・・下記「追記」参照

中心の安宅本城及び集落や農地のある平野部を、周囲の支城群で守っているという構えです。
古武之関城は他の支城よりも奥まったところに位置しているため、通常は使用されず、緊急時の詰めの城や安宅荘全体の物見の砦といった役割があったのではないかと思えますが、個人的な想像の域を出ません。



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所在:和歌山県西牟婁郡白浜町安宅
評価:

こちらも遠景を眺めたのみ。沿革・構造・遺構残存状況など一切不明。日置川町史には記載があるらしいが・・・。案内板に表示されていながら先人の記録が皆無な点がきわめてレアな城。ここまで記したのは私が初になるでしょう。登城記公開1号はどなたになるのですかね。
*追記:古武之関城で検索すると上記のように情報なしですが(このページがトップに表示されるほど)、古武ノ関(古武之森城とも)で検索すると先人が調べた記録がヒットしました。それによると、この城(砦といったほうが正確)は勝山城の東南方の尾根沿いにあり、地理院地形図で言うところの301mピーク地点が比定地とされているようです。今回の記事にある古武之関城の推定地は誤っている公算が大であると申し添えておきます。
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コメント

No title

 何を隠そうこの「古武の関城」は、私共が高校生時代(1970年代末)に発見した城跡なのです。
 同城の存在は軍記史料『安宅一乱記』に登場しますが、当時は遺跡台帳にも載らない未踏の城跡でした。
 そこで友人たちと夏休みを利用して、当城の探索に出かけました。地図上で所在地の目星はついていたものの、まともな道が無いため3・4度目のトライで漸く城跡に到達しました。
 この発見は、地元の新聞でも報道されて“嬉し恥ずかし”の気持ちでした。その友人たちも、今や某城郭研究会で活躍したり、某大学教授だったりと、今なお活躍されております。
 なお古武の関城は、“紙の本”ではいくつかの書籍で紹介されています。

Re: No title

>H口K弐(J談会) さま

1970年代というと中世城館の悉皆調査が行われた地域が全国的にも多かった時期とどこかで目にした記憶がありますが、ネットもなく情報も限られていた時代に、高校生で未踏の城館を発見したとは!個人的には道のりの険しさというのは高校生くらいの若さがあればなんとでもなると思っているのですが、それを成し遂げようと思い立ったところが特にすごいことだと思います。貴重な情報ありがとうございます。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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