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新宮周防守屋敷 ~熊野七上鋼・周防守行栄の館~

単に新宮屋敷周防守屋敷とも。ここでは現地表記に従います。
新宮市街から西の山際には寺院が多くありますが、その中の一つ・本廣寺の敷地一帯が屋敷跡になります。



PA070132.jpg
本廣寺

新宮城主・水野家の菩提寺でもあります。
江戸時代の古図には周囲を囲う堀が描かれていますが、現在は消滅しているようです。



PA070134s.jpg
真新しい説明板

南北朝中期以来、熊野別当に代わり合議制で熊野を統治した七人衆(七上網)の一人、周防守行栄の屋敷跡。元亀2年(1571)に下熊野地の新宮十郎行家の屋敷より本広寺に移った。
行栄は源頼朝の叔母に当たる丹鶴姫の弟・新宮十郎行家の子孫といわれ、天正19年(1591)堀内氏善に同心せず討たれたといわれる。(現地説明板等参照)


丹鶴姫や新宮十郎行家については新宮城その②でも紹介しましたね。
熊野七上綱の中に「矢倉」の名がありますが、おそらく矢倉城主の矢倉氏のことでしょう。



PA070135s.jpg
石碑発見!

やはり城址碑(この場合館址碑)があるっていいですね。



PA070136.jpg
境内には「書写妙法蓮華経印塔」などがあります。軽く見学して撤収。



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所在:和歌山県新宮市新宮
評価:

新宮周防守行栄は源為義から連なる源氏の血を引いているとされますが、詳しい系譜は不明。熊野七上綱のなかでも最大の有力者とされ、所領は7千石ほどあったといいます。新たに勢力を得た堀内氏善に対し、七上綱で最後まで抵抗したのも行栄ですが、最後には敗れ討たれます(暗殺されたとも)。源氏の血を濃く引くがゆえに、氏善の下に付くのを良しとしなかったのでしょうか。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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