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京城 ~新宮城主堀内安房守築城~

尾呂志城を後にし、r62~オレンジロードでトンネル越えして紀宝町へ。
大里地区の相野谷中学校東側の小山が京城(みやこのじょう)の跡というが・・・



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相野谷中学校から東側の城山を望む

経験則上、麓に学校がある山城は学校周りに説明板があることが多いため、学校周囲を一周するも城の表示物なし。ついでに北側にある相野谷小学校さらには城山の周囲を回ってみるもやはり表示物なし。



PA060615.jpg
相野谷中学校

周囲三方を山に囲まれ、平時の居館を構えるとしたらいい場所です。多くの城館巡りをしていると無意識に立地条件を読み取ってしまうようになります。ちなみに実際にここに居館があったという情報はありません。
なお中学校周囲の道は恐ろしく狭いので注意。角を曲がるのに難儀しました。



PA060618.jpg PA060617s.jpg
表示物の発見をあきらめかけたところ、最後に回った南側の県道沿いに説明板を発見!
これはかなりうれしかったです。

京城
大里と井内の境にあり東西約450mにおよぶ縄張りがある。熊野地方では鬼ヶ城跡に次ぐ規模の城跡である。別名「要害山」ともいう。
天正16年(1588) 豊臣秀吉の検地に反対した北山方面の住民が起こした一揆を後の津城主藤堂佐渡守が北山、入鹿、尾呂志一帯を掃討した。のち大和、北山への本街道であったこの地へ新宮城主堀内安房守が築城したとされている。本丸跡は30m四方あり、わずかの石垣と北側尾根2ヶ所に堀切が残っている。本丸の東南下に東泉寺跡があり、そこも館の一部であったろう室町中期と見られる宝篋印塔4基とヒメ様とよばれる小さな地蔵がある。いずれも地方史研究には価値のある遺跡である。 (説明板参照)


ここから背後の山に登れそうな気配でしたが、日没が近いのと説明板を発見できたことに満足したのとで深入りは自重しました。



PA060616.jpg
京城遠景(手前の山上)



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所在:三重県南牟婁郡紀宝町大里
評価:

大した遺構がない城なら麓からの遠景のみでも評価つけちゃいますけど、先人たちの記録を見るとこの城は大規模な堀切や部分的に残る石積み等なかなかの遺構が残っているようなので、「訪問したけど未攻略」扱いにします。ちなみに居館跡は学校近くではなく山の中腹の平場にあるようです。小山とはいえ間近で見ると険しさを感じ、この地方有数の規模の要害であることも納得です。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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