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尾呂志城 ~上野の大杉が鎮守する~

川瀬城の南東にある尾呂志学園小中学校の周辺が尾呂志城の跡地です。



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学校北側の道路に掲示されている説明板

尾呂志城は入鹿氏から分かれて尾呂志の地頭となり尾呂志氏を名乗った者により築城されたもので、元は御浜町役場尾呂志支所付近にあったが、土地が狭いため、永禄年間尾呂志氏4代孫三郎(隠居して慶閑と称す)の代に現在の尾呂志小学校の地に移転した。
城の規模については諸説あり、「続風土記」には東西26間(約47m)、南北29間(約53m)とあるが、その数倍の広さがあったともされる。 また石垣の高さは1間半(約2.7m)、堀幅・深さは約3.6mあり、北側と西側の一部を除き周囲をめぐらせ、堀の内側には土土居が築かれていた。  (説明板参照)




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城域の中心にある尾呂志学園(小中学校)

入口にある井戸らしきも城の遺構と関係あるのだろうかと一瞬頭をよぎったのですが、先人たちの記録にはそのように解説しているものはなかったので関係ないのでしょう。校舎の西側には石積みを伴う土居が残存しています。



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同じく城域中心部。学校の東側道路から眺めたもの。
ここでも校庭の奥側(校舎の西側)に石積みやら何やらが確認できたのですが、校庭を横切ってまで見に行くのはさすがに自重しました。説明板によると城主の居館跡が講堂の西側にあるということですが、関連があるのでしょうか。



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学校の北側には周囲から一段高く石垣で囲われた区画があり、大きな杉の木が立っています。

上野の大杉

現在そびえている老樹2本は、東側は胴回り6m、西側は5.2mで、樹型はともに風伝からの強風に耐えて、独特の枝ぶりを示し、老樹の相を呈している。
ここの地名を大杉というが、現在の2本より以前から呼称されていたもので、元の大杉は明治18年10月2日の火災により焼失してしまった。
ここはかつて尾呂志城の鎮守地であり、もとの大杉は紀南地方でも有名で、明治3年4月17日新宮領主の水野忠幹侯が巡見の際、大杉の胴回りを測っているが、その大きさは47尺(14.2m)とあり、樹齢は700年と推定された。 (現地説明板参照)




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所在:三重県南牟婁郡御浜町上野
評価:★☆

そこそこの規模の城であったようですが、小学校建設により縄張りの多くは消滅した模様です。学校の東側と南側の道路はかつての堀跡でしょう。記事を作成するにあたり先人たちの記録を確認したところ、説明板がある道路のすぐ近くにある「尾呂志城の的石」を見逃していたことに気が付きました。ショック。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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