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田丸城③ ~中世と近世を併せ持つ城~

天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いののち、松ヶ島城主となった蒲生氏郷の支配下に入る。天正18年(1590)の奥州仕置において蒲生氏郷が陸奥国会津に移封されると、妹婿となっていた田丸直昌も与力大名として陸奥に移動した。江戸時代初頭には稲葉道通が入り田丸藩となる。稲葉氏転封ののち藤堂氏の支配地になるが、元和5年(1619)、徳川御三家の一つ紀州徳川家の治める紀州藩の所領となる。

遠江久野城城主であった付家老久野宗成は駿府藩主であった徳川頼宣に付属させられ、頼宣の紀州転封(紀州徳川家の成立)の際にもそのまま付随となり、紀州へ移ってきた。頼宣はこの宗成に1万石を与え、田丸城城主として田丸領6万石を領させた。久野氏は、家老として和歌山城城下に居を構えたため、田丸城には一族を城代として置き、政務を執らせた。久野氏はその後八代続き、明治維新に至る。 (wiki参照)


本丸にはその①でも触れた村山龍平翁自筆の歌碑が設置されています。



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田丸町の久しく望める城山の町有となりし時
幾千とせかはらぬことを祈るなり
この城山は このさとの神


碑文のほうは達筆すぎて読み取るのが大変ですが、傍らに説明板が設置されているので助かります。この城が町有となり城山公園として現在解放されているのは、翁の多大な私財の寄付によるところが大きいです。
この碑のそばにもう一つ掲示されている句があります。

翁の碑 天より地より 花吹雪



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天守台

上に登る石段が扇状に広がっているのが特徴的。
ここにも句があったので掲載。

富士望む 天守の跡や 初茜



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天守台穴蔵

天正3年(1575)北畠信雄により八間四方・高さ九間の三層の天守が建てられたが、天正8年(1580)焼失。 その後稲葉氏時代に再建されたとされるが、慶安2年(1649)風雨により崩落し、以後再建されることもなかった。(資料館で入手したパンフレットより)



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天守台から見た本丸

この場所からは周囲をあらかた望むことができます。西側から南側にかけて田園風景が広がり、この地が古来から豊かな穀倉地帯であったことがうかがえます。



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本丸西側の石垣の隅に面して「櫓跡」「角櫓跡」の表示がありますが、草木も生い茂っているため本丸内側からはいまいちピンときません。



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実際の見学順とは前後しますが、本丸下から見た櫓台石垣。
上から見るとピンとしなくとも、下から見るとしっかりと櫓台の形状になっています。
設置されている説明板には石垣の積み方に関する内容が記載。
(西日が直撃する場所にあるせいか文字がかなり薄くなっています)



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角櫓の櫓台石垣

同じく本丸下から眺めたもの。左手上が本丸、右手が二の丸。
資料館で見た模型ではこの上は角櫓ではなく火薬庫という表示になっていました。



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本丸下から見た西側の様子

この城は主要部分は石垣で固められていますが、中世の古い構造も随所に残されています。



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再び本丸内から。本丸には東側の本丸虎口と南側の本丸門の2つの入り口があります。
写真は二の丸につながる本丸門の跡で、資料館の模型によると両側が櫓台になっているようです。



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本丸と二の丸間は細い土橋状の通路で結ばれています。この辺りも中世城郭的縄張りをそのまま引き継いでいる感があります。



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土橋上から三の丸側を望む



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土橋上から見た二の丸と本丸間の空堀



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二の丸側から見た本丸門方面

この辺りは完全な近世城郭。



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竪堀状の地形

こちらは中世城郭のそれに近い雰囲気を感じます。
ちょうど中学生がグラウンドに出て体育の授業中。この角度で写真撮ってると盗撮してる人みたいだな。



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二の丸は本丸よりやや狭い平場となっています。特段目に付くようなものはありません。



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二の丸南東隅にある富士見台

城の主要部の南端に位置します。ここから搦手口に通じるようです。



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二の丸虎口

二の丸富士見台付近から三の丸へとつながるルート。三の丸からは本丸虎口を通過して直接本丸へ進めますが、二の丸を経由して本丸へ向かうほうが縄張りの観点から見ると正規のもののようにも思えます。中世から近世にかけて幾多の改変があった結果、複数のルートを併せ持っているのかもしれません。



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この付近の高石垣は修復工事が実施されたところですが、修復のため既存の石垣を取り外したところ、栗石の奥からさらにその前の時代のものと思われる石垣が発見されたということです。何らかの理由で積み替えられたと考えられますが、詳細は不明。



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所在:三重県度会郡玉城町田丸
評価:★★★★

私的真百名城選定城郭。中世城郭と織豊系近世城郭の遺構を併せ持つ興味深い城で、小山全体を城域とし、全体的によく保存されています。無料の資料館が併設されていることも高ポイント。「新聞王」村山龍平氏のことも初めて知りました。玉城町民は積極的に朝日新聞を購読しないといけませんね(笑)
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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