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田丸城② ~南朝の拠点から織田氏伊勢支配の拠点へ~

田丸城は南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信によって築かれたといわれる平山城である。伊勢神宮を抑える戦略的要衝として争奪戦が繰り広げられたが、1342年(康永元年)、足利尊氏によって落城する。その後、室町時代には伊勢国司となった北畠氏の手によって再建される。北畠家の庶流で、第5代北畠政郷の四男顕晴が度会郡田丸城に入り、田丸氏を名乗った。

戦国時代、田丸直昌は織田信長の伊勢侵攻に伴い北畠具教の養嗣子となった織田信雄に田丸城を明け渡し、信雄に仕えた。田丸城は信雄の居城として1575年(天正3年)に改築され、三層の天守を備えた近世城郭へと生まれ変わり、織田氏の伊勢支配の中心拠点となったが、火災で天守を焼失。織田信雄は松ヶ島城へと移った。 (wiki参照)


玉丸の地は都(京)からの波瀬街道と吉野熊野街道(紀州街道)との合流地点という要所となっています。延元元年(1336)、この地で後醍醐天皇を盛り立てようと、南朝方の北畠親房・顕信が、神宮外宮神主の渡会家行らに迎えられて田辺の丘の東端田丸山に城塞を築城したのが田丸城の始まりで、神領を領有するため南北朝期はしばしばこの城を中心に争奪戦が繰り返されますが、両朝合一(1392年)後は北畠一族の居城となり田丸御所と呼ばれるようになります。



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二の門跡

屈曲した虎口で、枡形のような構造とみることもできます。
近世期には門の先に番所が置かれていたようです。



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見取り図や城址碑もチェック


二の門の先の坂を上ると中学校があります。城(特に近世城郭)の城域内に役所や学校があるケースは多いですが、近世城郭は行政機能の中心の場であったわけですから、本来の役割をそのまま引き継いでいるということになります。学校があることについては、子供が集まるところは廃れることはありませんから、なお結構なことです。たま~に城域から官庁舎や学校を追い出してすべて当時のように復元しろとかいう意見を見かけるのですが、公的な施設はあったほうがその城のためだと思うんですけどねえ。



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蓮池

往時の図面にも記載されている池。中学校の脇を通って北側に回り込むとあります。



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さらに北側にある水堀

かつて城の周囲をめぐっていた水堀は、各所で埋め立てられてはいるものの、随所によく残っています。
城の北側は二重の堀となっていたようです。堀に沿った遊歩道もあります。



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富士見門(長屋門)

田丸城は、南北朝時代に築城された平山城で南勢地方随一の古城である。戦国時代幾多の遍歴を経て築城以来六百数十年の歴史を秘め明治維新により廃城となった。廃城当時(明治4年)、城内の建物は入札によりすべて取り払われることとなった。城内には八ヶ所の門があった。その内三の丸(現在の玉城中学校校庭附近)には冠門(御成門)と富士見門があった。御成門は三の丸御殿へ、富士見門は三の丸から二の丸富士見台に向かう門であった。この富士見門(長屋門)は明治初年、宮古の乙部氏邸に移されたものを昭和59年3月、町がこれを譲り受け現在地に移築復元したものである。この両側には長屋作りの侍溜があったが乙部氏邸に移築の際、向かって右の部分が取り除かれ左の侍溜が納屋(間口三間半)として移築され保存されていたものである。この城門は江戸時代中期のもので往時の原形をとどめた現存する唯一の建造物で田丸城の歴史を物語る貴重な郷土の文化財としてここに永く保存しようとするものである。 (現地説明板参照)


ここでルートの分岐があります。舗装路を道なりに進めば本丸虎口へ出ますが、このとき作業中のトラックが道をふさいでいました。徒歩なら通過することもできましたが、作業中の現場を通ることは後回しにしたかったので裏側のルートを使うことにしました。

便宜上、主要ルートを進んだ場合のことをまず先に掲載します。



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富士見門から道なりに進むと再び中学校敷地に出ます。ここが三の丸跡。
中学校の西側まで道路が伸びており、この辺りまで車で登ってくることも可能。
写真は学校用駐車場ですが、門の手前側に城址公園用?の数台分の駐車場があります。
(この日は工事作業車で封鎖されていましたが)



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本丸虎口



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本丸虎口から本丸方面

防御のための屈曲が顕著。



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発掘調査で発見された門の礎石と石列

宝暦年間(1751~1764)の古図にはみられず、土層の状況からそれより古い時代のものと考えられています。
ここから先へ進むと本丸と北の丸の分岐点に出ます。



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実際は富士見門のところの分岐から裏道を通ってきたので、そちらの様子も紹介。北の丸の裏側を回り込むようなルートで、道は遊歩道風に整備されています。石垣造りになっていない部分の塁壁の高さを眺めながら進むと、本丸部分の石垣が姿を現します。



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下から見上げた本丸石垣

この石垣の上に天守台石垣もあるのですが、この角度からは見ることができません。



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遊歩道は本丸と北の丸の間にある堀底から登ってくるような形になっています。



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大手からのルートと裏側からのルートの合流地点。
写真は本丸方向を見たところ。ここからだと本丸石垣の上に天守台石垣も確認できます。

まずは背後にある北の丸へ向かいます。



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北の丸入口にある折れのある特徴的な石垣

北の丸は東側にはこのような高石垣が築かれていますが、北側・西側は石垣はなく高い塁壁がむき出しになっています(裏側ルートを使うとじっくり観察できます)。



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北の丸に鎮座する城山稲荷神社  

周囲は低いながらも土塁で囲まれています。

北の丸を後にし、本丸方面へ。



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本丸虎口と門跡

どうもこの城の本丸虎口は、本丸直下にある上段の虎口と、中学校敷地側にある下段虎口の2か所あるようです。上段本丸虎口の門は、間口約6.2m、奥行き約2.6mの規模であったとのこと。



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本丸に到着!


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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