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松坂城① ~再訪の陣・御城番屋敷~

本日のラストは松阪市大阿坂町にある阿坂城の登城を予定していましたが、思いのほか時間が押して日も暮れてきてしまったので、百名城の松坂城の探訪に切り替えました。松坂城は2009年の7月に登城していているので、6年と3か月ぶりくらいの再訪になります。よほどのことがない限り極力再訪はしない主義の私ですが、前回登城時の写真が本公開前に消滅してしまったので、この機会におさらいと写真再取得をしようと思い立ったわけです(先行公開にて前回登城時の記録の一部が残っています)。100名城スタンプは前回押印済みなので、時間を気にせず気楽に探索できます。

城の周囲にある駐車スペースに車を停め、ぼちぼち探訪を開始。



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車道に迫る高石垣

石垣下の下校途中の学生と比べるとその規模の大きさがわかります。



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城の南東側にあるトイレにあった張り紙

確かに前回訪問時にも公園内にねこがたくさんいたが・・・
ねこを捨てちゃダメだよ!


ここで城内へ進む前に、前回見逃してしまった「御城番屋敷」を見学することにします。



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城下南側にある御城番屋敷

御城番屋敷(重要文化財旧松坂御城番長屋)と苗秀社

御城番に住む人々の祖先、徳川家康の先鋒隊として功名手柄を競った蜂須賀党の面々であり、田辺城主である安藤家に助成する使命を帯びた藩主直属の家臣である。紀州藩主の菩提寺である長保寺(ちょうほうじ)の住職海弁僧正(かいべんそうじょう)の支援を受け、文久3年(1863)に松坂城の御城番として赴任した。やがて訪れる明治維新、そして廃藩置県や徴兵制の断行による武士の存続基盤の消滅に対しても彼らは「苗秀社」を創設し、ともにこの激変の世を乗り越えた。
この長屋建物は、松坂城御城番、四十石取りの紀州藩士二十人の組屋敷 として、文久3年(1863)に建築された。主屋二棟(東棟・西棟)・前庭・畑・南竜神社・土蔵からなり、周囲に槇垣を巡らしている。一戸あたり、正面五間、裏に一間の角屋が付く広さをもち、右手に通り土間、左手に田の字型に八畳二間、六畳二間を配置し、式台を構える。また、東棟側の北端にある土蔵は、もとは松坂城内で米蔵として使用されていたものを、現在の箇所に移築をされたものである。
建物は、苗秀社によって維持管理され、その体制は今日まで続けられ、建築当時の雰囲気が維持されている。今なおその子孫を含む多くの人々が日常生活を送っている建物は、全国的にも例のないものである。苗秀社の会社内規には、「わが党各家は永世変わらず、苦楽を共にし、家門の繁栄を図ることを主眼とする」とあり、会社綱領でも「紀州藩祖徳川頼宣や長保寺の住職海弁僧正の恩義を忘れない」等を誓っている。現在、社員は直系の子孫からなり、今も苗秀社の人たちは二人の祭祀を欠かさない。  (現地説明板参照)




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御城番屋敷 土蔵

平屋建、桁行一二間半、梁行三間、切妻造、桟瓦葺、南面及び西面は土庇桟瓦葺の建物である。外回りは、背面と東側面、正面の土庇上部では壁面を下見板で覆い、その他は漆喰塗り仕上げの白壁である。内部は、西から桁行四間、六間半、三間に三分割され、それぞれ戸口が開かれ、中央と東の区画では二層に床が張られている。構造は、棟通りの柱で地棟を受け、地棟に登梁を架けて屋根を支え、棟通りの柱から桁行、梁行の対応する柱に繁梁を渡すものである。
この土蔵は、江戸時代末期に松坂城内の隠居丸に建てられていた三棟の土蔵(米蔵一、道具蔵二)のうちの米蔵で、明治初期に苗秀社に払い下げられて現在地に移築されたと言われている。このことが事実ならば、旧松坂城関係の建物としては、唯一の現存する建物となる。なお、土蔵の西側には、紀州藩の初代藩主徳川頼宣(南龍公)を祀った南龍神社がある。 (説明板参照)




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御城番屋敷の中で、西側一番北の建物だけは市で復元整備を行い一般公開されています。
残念ながら公開時間が終わっていたので中は見れませんでしたが、外観を見学することはできました。

付近には「松阪工業高等学校誕生の地」という碑もあります。



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御城番屋敷の南側にある松阪神社の鳥居

正面奥の小高い丘に松阪神社・本居宣長ノ宮などがあります。



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南側から見た御城番屋敷 正面奥には松坂城の石垣

なおこの界隈は今も住民が日常生活を営んでいるので、路駐や公開されている場所以外の建物をのぞき込む等の迷惑行為は慎みましょう。



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さて、いよいよ城内へ。
こちらは裏門にあたりますが、相変わらず立派な造りです。
石碑まで立派。

ちなみに松坂城が日本百名城に選定されたのは平成18年4月6日。
国指定史跡となったのは平成23年2月7日なので、百名城選定より後のことであったのですね。
なおこの場所は「日本の歴史公園100選」にも選定されています。



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圧巻の高石垣



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松坂城縄張り(現地説明板より)



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裏門跡

手前に折れが1回、続いてもう1回の折れ。



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二度の折れを経てこの場所。
右手に曲がると二ノ丸。左手は隠居丸・本丸へ。
正面石垣上は太鼓櫓跡。



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左折すると正面は特別史跡の本居宣長旧宅。開館時間が終わったのか、門は締め切られています。参観する場合は記念館側へ回り入館券を購入しましょう。
前回見学済みなので今回はそのままスルー。あ、写真を撮り直すのが目的だったんだっけ。まあいいか。

この本居宣長旧宅のあるところが隠居丸と名付けられた郭。



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右に2回、左に1回曲がると中御門跡の表示。
ここを上り突き当りを右折すると本丸下段へ、左折すると本丸上段へ。



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左折し、右折し、左折し・・・



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本丸上段に到着!



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本丸上段から登ってきた道を見返す

正面に太鼓櫓跡、その奥が裏門方向。裏門から入ってここまで9回の折れを経由しました。
短い距離でここまでの制約を加えるとは、なかなかおそるべしな縄張りです。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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