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津城② ~津藩32万石の居城~

現在の津市の古称は安濃津(あのつ)であり、平安時代より伊勢国政治経済の中心地となっていた。鎌倉時代は藤原南家の流れの工藤氏を祖とする長野氏が支配していた。
津城の起源は戦国時代の永禄年間(1558年 - 1569年)に、長野氏の一族の細野藤光が安濃・岩田の両河川の三角州に小規模な安濃津城を構えたことに始まる。
永禄11年(1568年)織田信長の伊勢侵攻により織田掃部頭(津田一安)が入城。翌年には織田信包が入城した。信包は城郭を拡充し、石垣を普請し堀を巡らせて、本丸・二の丸・三の丸を整備した。天正5年(1577年)には5重天守と小天守を落成した。
後世に津藩が古老の伝え語りや実見をまとめた『累世記事』によると、伊勢情勢に詳しかった滝川一益がこの地に城を建てるよう進言し、一益が縄張りをして信包に渡したとされている。
また信包は母の土田御前や妹のお市の方、姪の茶々、初、江を引き取りこの城で養っていた。
豊臣家の時代になると、文禄3年(1594年)信包は秀吉の命により丹波国柏原へ移され、翌文禄4年(1595年)7月、豊臣家家臣の富田一白が5万石(6万石とも)を与えられ入城した 。一白の子、信高は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍につき、西軍方の毛利秀元・長宗我部盛親軍3万の軍勢に城を攻撃された。迎える信高と援軍にきた分部光嘉の連合軍は1,300人と劣勢であったため苦戦を余儀なくされ、城内の建造物の大半を焼失した。奮戦の末、木食応其の調停により開城となった。しかし、この奮戦により戦後、江戸幕府より2万石の加増を受けた。(安濃津城の戦い)
慶長13年(1608年)信高は伊予宇和島藩に移封となり、代わって伊予今治藩より藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石をもって入城した。高虎は城の大改修に着手し輪郭式の城郭に変貌させ、城下町を整備した。以後、明治維新まで藤堂氏の居城となった。 大坂の役の功により元和元年(1615年)と元和3年(1617年)に5万石ずつの加増を受け、藤堂氏は32万3,000石の大大名となった。 (wiki参照)



さて、本丸北側を取り囲む櫓台(多門櫓含む)を半周して再びスタート地点に到着。
続いて本丸内を見学します。
内部は公園となっていて、その真ん中には目立つ像が。



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藤堂高虎銅像

例の有名な兜被っちゃってます。
ん?なんか既視感が・・・



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ローアングルから撮影

高虎像といえば今治城のものも有名ですが、あちらの像は甲冑を着ていないちょんまげ姿なので、カッコ良さではこちらのほうが上でしょうね。もちろん今治のほうも渋くて好きという方もいるでしょうから否定はしません。



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なめまわすように撮影

高虎像といえばもう一つ、出生の地とされる在土館にある像も立派です。
かつての記事を見返してみると、鎧兜から馬から、ポーズまでもほとんど同じという(笑)
既視感の正体はこれであったか。まああえて同じ姿で制作したのかもしれませんね。
同じような見た目の銅像ですが、ここ津城のもののほうがより立派であったように思えます。



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天守台

天正期には五層天守と小天守が建っていたといいますが、今では撮影スポットすら見つけにくいという扱い。
中央の凹みは何だろう・・・



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西鉄門虎口

西之丸から本丸に至る、土橋と枡形を組み合わせた虎口。枡形は外門の西黒門、内門の西鉄門からなり、西黒門の脇には二重の伊賀櫓があった。

その①のラストで行き止まりになって引き返したのはちょうどこの写真の部分。



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西鉄門跡付近にはこんな銅像もあります



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戌亥櫓跡の櫓台石垣

やはり見事なものです。
この角度だと犬走りもよくわかります。少し冠水しちゃってますが。



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西之丸の日本庭園                       入徳門

文政3年(1820)、第十代藩主藤堂高兌は藩士やその子弟を教育するための藩校として有造館を創設した。その中心である講堂の正門が、この門である。
入徳門の名前は「大学は諸学徳に入る門なり」という言葉からきているといわれ、徳に入るの門として作法は厳格であった。
明治4年(1871)、有造館は廃校となったが、その後に創設された小学校第一校、師範学校、津中学校、三重女学校兼附属幼稚園、入徳幼稚園の正門として使われた。昭和20年(1945)の戦災時には奇跡的に類焼は免れた。戦後は当地にあった県立図書館の正門となるも、昭和42年(1967)の同館移築により、この門のみ残された、この間、入徳門は何回も場所を移り、昭和46年(1971)現在地に建てられたが老朽化がはげしくなり、昭和61年(1986)より昭和62年(1987)にかけて保存修理工事(解体復原)を実施したものである。 (説明板参照)


昭和期以降の記述が無駄に詳しい珍しい説明板。



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城内には城に関する説明板が数か所にあります。うち一つを紹介。

津城は、織田信長の弟の信包によって築城された。天正8年(1580)に五層の天守閣が完成し、それまで柳山あたりにあった町屋が移されて城下町が作られた。その後、富田氏が城主となり、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍の攻撃を受け、津の町は戦火にあい、荒廃した。
慶長13年(1608)に藤堂高虎が伊予今治から移ってくると、本丸の北側を広げて石垣を高くして、両端に櫓を新築したり内堀・外堀とも整備したりするなど大改修を加えた。そして、城を中心に北・西・南に武家屋敷を、東には町屋を置き、町外れを通っていた伊勢街道を城下町に引き入れ、町の発展に努めた。
また、城下町の東の端に堀川を掘り、船を入れて商業発展に利用するとともに、城下の外側の守りとした。また、堀川の外側には寺院を配置し、万一の場合の防御の最前線とした。西側の武家屋敷の西一帯は湿田で、ここに町屋を建てることを禁止し、万一の場合と火災に備えた。

①【本 丸】
石垣が切れたところには埋門と呼ばれる門があった。周囲には丑寅三重櫓をはじめ5つの櫓があって、多聞櫓と呼ばれる渡り廊下のようなものでつながれていた。

②【西之丸】
現在は日本庭園になっているが、昔は番所や倉庫があった。南西には玉櫓と外郭から入ると鍵の手に曲がった所に2階の櫓門があった。本丸との境には西の鉄門があり、土橋でつながっていた。

③【東之丸】
現在は商工会議所や公園になっているが、かつては小さなお宮さんがあったといわれている。

④【内 堀】
本丸、西之丸、東之丸を取り囲んでいたが、順次埋め立てられて現在は本丸と西之丸の周りに残っているのみである。

⑤【二之丸】
内堀と外堀に囲まれたところで、重臣の屋敷や藩政の中心機関があった。また周囲には12の小さな櫓が築かれ、北(京口御門)・西(伊賀口御門)・南(中島口御門)に門が設けられていた。
文政3年(1820)には、藩校有造館(現在のNTT西日本三重支店付近)がおかれた。日本庭園の中に有造館の入徳門(市指定史跡)が移築されている。

⑥【外 堀】
城の内と外を区切る堀で、岩田川から水を取り入れていたため潮の干満で水面が上下した。現在はすべて埋められている。




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図の丸数字は上記の説明内容と対応



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内堀越しに眺めた西之丸・玉櫓跡



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西之丸南面。かつてはこの場所は広大な内堀が広がっていたが、埋め立てによりわずかに堀跡が残るのみとなっています。石垣の整備作業中ですが、定期的に手入れしないと草が大量に繁殖したりするのでしょうね。



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本丸方面に戻ってきました。この時点で車を止めてから20分以上経過。ここからすぐに駐車場に向かえばピッタリ30分くらいだったでしょうが、内堀周りを歩いておきたかったので見学時間を30分増の1時間未満に切り替え。多少時間に余裕ができたので、ここからペースダウンします。
表示にある高山(こうざん)神社に寄ってみましょう。



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高山神社

藩祖藤堂高虎を祭神とし、社名はその諡号に由来する。もともと城外にあったが、その後津城本丸内を経て、戦後現在地に遷されました。現在地はかつての内堀の真っただ中であり、明治期ごろはまだ埋め立てられていなかったのではないかと思われます。



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境内には様々な説明板や掲示物があります。津市の指定文化財に登録されている高山神社の絵馬は、神功皇后の新羅出兵の一場面を構図にしています。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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