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沢城 ~神戸城に移る前の神戸氏居城~

r54「商工会議所東」交差点を西に進み、最初の道を左折(左手に焼き肉店舗あり)。
そのまま南へ100m強進むと、水路脇に立派な石碑や説明板が設置されています。
この付近一帯が沢城の跡地となります。



PA050275.jpg
城址碑と説明板

沢城亀山城主・関盛政の長子・関盛澄が、正平22年(1367)に築いた城で、亀山城若山城)を本家に沢城国府城鹿伏兎城峯城を分家とし、「関一党」を構成していた。城主は盛澄-実重-為盛-具盛と続き、代々「神戸氏」を称していた。神戸氏は鈴鹿郡と河曲郡の内、二十四郷を支配しており、天文年間(1550年前後)、神戸城に移るまで約200年間、神戸氏の居城であった。

沢城の構造は明らかではないが、現在のこの地が本丸跡と考えられ、東西約130m、南北約80mの楕円形で、周囲の水面より70cm程高くなっている。周囲には「城掛」「城西」「馬渡」などの字名が残り、本丸を囲む曲輪が多数存在してたことをうかがわせる。本丸の周囲は近年、店舗等の建造物で埋めつくされているが、その際の試掘調査では、周囲が城の名のごとく沼地であったことが確かめれらており、本丸南端の水路工事に際しては「むめ、かく」の墨書土器が出土している。 (説明板参照)




PA050276ss.jpg
明治20年の地籍図(説明板より)

水田や沼地を利用した楕円形の平城であったようですが、現在では遺構と呼べるものは残されていません。 



PA050277s.jpg
もう一つ沿革



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所在:三重県鈴鹿市飯野寺家町
評価:

表示物の立派さは国指定史跡級。遺構はありませんが、神戸城からすぐの距離にあるので、ついでに訪問するのもよいでしょう。滞在時間は1分あれば足ります。
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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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