FC2ブログ

記事一覧

高岡城 ~信長の2度の侵攻に屈しなかった城~

四日市市の中心部からR1~r103伊勢街道を南下。
鈴鹿市に入り、鈴鹿川を渡る手前の西側にある丘陵が高岡城の跡となります。
高岡城は現在城跡公園となっており、上まで車で登ることができます。以下ポイントを掲載。



PA050225.jpg
高岡町北の交差点で西に入り、左手の丘陵が切れたところで左に曲がると、西側から南側に回る形で城への道が続いています。このルートだと写真の超鋭角カーブを乗り切る必要があります。実際は鈴鹿橋すぐ北の川沿いの道から進めば幾分進入しやすいと思われます。



PA050243.jpg
1枚目の写真の場所から入れば突き当りまで進めばいいだけですが、狭路なので注意。すれ違い不可どころか、普通車1台分すら怪しい道幅。注意といっても注意のしようもないので、対向車が来ないことを祈るのみです。(この写真は帰路に撮ったもの)



PA050230.jpg
終点、城跡公園

突き当りにはそこそこ広い駐車場あり、ここまでの道の狭さとは不釣り合いなほど。
石碑も立派です。



PA050234.jpg
立派な説明板(説明碑?)

高岡城は標高五十米、南に鈴鹿川と北に深い谷がある自然の要害地に築かれた山城であった。西の空堀付近は馬場の跡と伝えられている。
城主は神戸友盛の家老智勇兼備の名将・山路弾正であった。永禄十年(1567)初秋、織田信長の大軍が高岡城を攻めてきたが、これを防いだ。翌年二月、再度攻めてきたが、山路弾正は屈しなかった。そこで信長は三男・信孝の養子を条件に和睦を策した。
元亀二年(1571)正月、信長は友盛に隠居を命じた。主君友盛の不遇に義憤を覚えた弾正は謀叛を企てたため不意を襲われて自害に追い込まれた。
その後、信孝の血縁の小島兵部が高岡城主となった。 (説明板参照)




PA050232.jpg PA050233.jpg
城郭建築風休憩所                        広場となった主郭



PA050237.jpg
主郭からの眺望

眼下に鈴鹿川、南に鈴鹿市街、東に伊勢湾を一望できます。



PA050241.jpg
城の遺構としては曲輪跡や仕切りの堀跡らしき、土塁跡らしきを確認しましたが、明瞭ではありません。
西側の雑木林の中に空堀があるらしいのですが、よくわかりませんでした。



=============================================
所在:三重県鈴鹿市高岡町
評価:★☆

全体の縄張りが分からなかったので、城跡公園周辺部分のみの評価。山の中には確認できていない遺構もあることでしょう。眺望は素晴らしく、織田信長の攻撃を防いだという要害性も感じられます。立派な表示物がある点も◎。
=============================================
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: