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西坂部城 ~「三日平氏の乱」で拠点となった城~

三重西小学校のすぐ西側にある「三重城山緑地」が西坂部城の跡地。
城山東側下にあった公民館に駐車。城への登り口は多方面にあります。



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東登り口

ここにある掲示板には「しろやま通信」なるものが張られており、城山の整備実績などが掲載されていました。



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通常このような里山は草木の生育が早いためすぐに藪化するものですが、上記の整備活動の賜物で大変登りやすくなっています。ありがたいことです。



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主郭北側下には1段腰郭があります。
(現地説明板によると「北ノ丸」)



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頂上・主郭

「く」の字型の細長い形状をしています。
南側の先端部が1段高くなっており、櫓台・見張台の跡と思われます。



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主郭にある城址碑

真正面に木があるという謎の配置(笑)



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小山ではありますが、主郭からの眺望はよく、かなり広範囲まで望めます。
城を築くにはうってつけの地形です。



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南側から降りると、途中2段ほど郭が配置されており(説明板によると「二ノ丸」「三ノ丸」)、それぞれ外側に土塁らしきが見受けられます。
写真は三郭から主郭を見上げたもの。



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西側登り口へ向かう道

整備状況は良好。



PA050190.jpg
三郭にある説明板

西坂部には城跡が二ヶ所あって、小字名「城」に鎌倉時代の三日平氏の乱において若菜五郎とともに平賀朝雅のために滅亡した萩原小太郎が拠点とした城があった。室町時代に朝明郡の中野城に拠った赤堀藤太郎がその前にここを居城としたとも伝えている。もう一ヵ所は、この地で小字名を「城の谷」といい、永禄年中(1558~1569)に山本豊前がここに居たという。
城域は南北に、北ノ丸、本丸、二ノ丸、三ノ丸と名付け得る小区域があり、それぞれに土塁がめぐらされていたと思われる。 (説明板参照)


「三日平氏の乱」とは、鎌倉時代初期、伊勢国と伊賀国で平家の残党が蜂起した事件。建仁3年(1203年)12月に伊勢平氏の若菜盛高らが蜂起し、討伐に向かった鎌倉幕府軍の平賀朝雅が、元久元年(1204年)4月10日から12日の間に反乱軍を鎮圧した事から「三日平氏の乱」と称された。詳細はwiki参照



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急峻な道



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南登り口に下山

入口のプレートは「坂部城跡」の表記でした。



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所在:三重県四日市市三重2丁目
評価:★★☆

自然地形をうまく生かしつつ、要所には土塁が設置され、なかなか攻めにくい城であると感じます。小山とはいえ急峻な地形のため、整備されていなかったら頂上に登るだけでもかなり大変だったことでしょう。整備している人たちに感謝です。
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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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