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萱生城 ~「髪のびの井戸」伝説~

萱生城(かようじょう)は四日市市萱生町にあった山城で、一帯を支配した北勢四十八家の一つ春日部宗方(春日部家)が築城。 永禄11年(1568)、織田信長による北勢侵攻で攻撃を受け、後に落城しました。



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萱生城遠景

城は朝明川南岸の半島状に突き出した丘陵上に築かれており、要害地形です。



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現在城地は暁学園の敷地となっています。要害地形のため、学園へは軽い山登りをしないといけません。一応山上に駐車場はありますが、生徒は歩きでしょうから毎日の登下校で鍛えられることでしょう。



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山上の第1駐車場まで登ると城の表示と井戸があります(暁学園案内図で井戸マークがついているところ)。
こういった所まで入っていいのか気になる方もいるでしょうが、学園建物とは逆側の藪の中に井戸や説明板はあるので、特に気兼ねなく見学することができるでしょう(単に私が学校敷地になっている城跡を腐るほど訪問しているため気にならなくなっているだけかもしれませんが)。



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井戸について書かれた説明板ですが、城の沿革についても詳しい。

いわく、元亀2年(1571)5月に始まった伊勢長島一向一揆の鎮圧に先立って、永禄11年(1568)に織田信長軍本隊の先鋒隊として派遣された羽柴秀吉・滝川左近(一益)の連合軍により萱生城は攻撃を受けます。当時の城主は北勢三家衆の勢力頭として近隣の土豪を従えて活躍していた春日部俊家で、織田連合軍を向こうにまわして5年間も奮戦しました。しかし兵糧も尽き手負いの将兵の傷も癒える間もないまま、天正元年(1573)の総攻撃により炎上し、北勢一の要塞・萱生城も灰燼に帰した、ということです。



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「髪のびの井戸」

萱生城落城時、女人衆の多くは落ち延びようとせず、この井戸に身を投じたという。それ以来、いつからともなく、この古井戸に姿を映す人は髪が伸びると語り伝えられるようになったといいます。

覗く人にデメリットのない伝説というのもなかなか面白いです。



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供養碑

周辺には土塁跡らしきも散見されるが、遺構かどうかは不明。



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所在:三重県四日市市萱生町
評価:★★

こういった伝説が残る城、好きです。遺構は明確ではありませんが、要害性を肌で感じることはできます。wikiによると規模は320m×160mで、北勢一の要塞にふさわしい構えであったようです。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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