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矢田城 ~長島一向一揆侵攻の前線基地~

馬道駅の北西100mほどのところにある走井山公園一帯が矢田城の跡です。



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走井山公園 無料駐車場あり

駅のすぐ北西にある公園に向かえばいいとだけ覚えていたので詳細な地図は確認せず、結果一度公園西側にある浄水場の裏側まで行ってしまいました。若干のタイムロス。



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公園は数段の郭状の地形になっており、上段には殉国碑があります。
この裏にもう一段土壇状の高まりがありますが、遺構かどうかは不明。



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上段にある公園説明板には矢田城の名称も記されています。城址碑は見当たりませんでしたが、なにかしらの表示物があるというのはいいものです。公園は桜の名所でもあるといことで、シーズンには賑わいを見せるのでしょう。



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隣接する勧学寺

元は走井山の麗にあったようですが、元和年間(1615~24)に2代桑名藩主本多忠政の家臣が山上へ移したと伝えられ、7代藩主松平定重が本堂を再建しました。市内に現存する寺院建築としてはもっとも古いと推定されています。



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矢田城は元亀あるいは天正年間に矢田半右衛門俊元の築城とされる。永禄年間、織田信長の命を受けた滝川一益の勢州平定の際に陥落し、城主俊元は自害した。

城主矢田氏は近郷の諸氏を抑え、この地方の中心的存在であったと伝わります。矢田氏滅亡後、信長は滝川一益にこの城を与え、長島一向一揆侵攻のための前線基地としました。



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これは最初道を間違えて西側にある浄水場の裏まで行ってしまった時に撮ったもの。
左手側のこんもり茂った部分が矢田城で、小高い台地の先端部分に位置し、要害性のある場所です。



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所在:三重県桑名市矢田
評価:★☆

滝川一益領となった後の矢田城は、天正11年(1583)、羽柴秀吉が滝川一益を北伊勢に追った時に落城したと思われ、その後廃城になったようです。明確な遺構は特に残っていませんが、郭跡であろうと想像できる地形や、城が築かれる要害の地ということはよく感じ取れます。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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