FC2ブログ

記事一覧

桑名城② ~破却された海道の名城~

京都所司代を務めた幕末の桑名藩主松平定敬は会津藩主松平容保の実弟で、兄や一橋慶喜とともに佐幕派の中心でした(一会桑政権)。そのため桑名藩は明治維新後に新政府軍によって厳しく処分され、かつて海道の名城とたたえられた桑名城も官軍に破却されます。



PA050091.jpg
辰巳櫓跡

桑名城本丸の東南角にあり、三重櫓であった。元禄14年(1701)天守閣が焼失し、再建されなかったので、以後は辰巳櫓が桑名城のシンボル的な存在であった。このため明治維新の時、降伏のしるしとして新政府軍に焼き払われた。 (説明板参照)




PA050093.jpg
櫓台の上に大砲が置かれているが、由来等は不明



PA050095.jpg
神戸櫓跡

戦国時代、この付近には伊藤武左衛門が治める東城があったとされる。織田信長の伊勢侵攻の時、伊藤氏は降伏し、東城は廃されたものと思われる。 文禄の頃(1592~1596)一柳直盛が城主となると城郭が築かれ、その時に神戸城の天守閣を移したといわれている。江戸時代、初代藩主本多忠勝は城を拡張し、本格的な近世城郭を築いたが、神戸城の天守閣は櫓としてそのまま残され「神戸櫓」と呼ばれた。 (説明板参照)




PA050096s.jpg
当時の絵図での神戸櫓と辰巳櫓の配置



PA050099.jpg
本丸西側入口にある城址碑 結構地味

左側の碑は「精忠苦節碑」。
戊辰戦争で桑名藩の責任を負って処刑された公用人森陳明を悼んで明治23年に建立された慰霊碑です。



PA050100.jpg
本丸内の神社前では朝から作業をしています。
先ほどから聞こえていた機械音はこれが原因でした。



PA050101.jpg PA050105.jpg
輪違い灯篭                            神牛像



PA050106.jpg
鎮國守國神社

天明4年(1784)白河小峰城内に松平定綱(鎮国公)を祀ったのが始まりで、文政6年(1823)松平定永の桑名移封に伴い、桑名城本丸に移る。後に松平定信(楽翁公)も祀られるようになったということです。



PA050108.jpg
天守跡

4重6階の天守は元禄14年(1701)の大火で焼失し、以後再建されなかった。
違和感のある天守台だなと思ったところ、現在の石組みは縮小された規模で再現されたものであるとのこと。



PA050109.jpg
上に建つのは戊辰殉難招魂碑(明治20年建立)



PA050111.jpg PA050113.jpg
鎮國稲荷神社



PA050114.jpg PA050115.jpg
楽翁公百年祭記念宝物館

昭和9年に完成した松平定信(楽翁)を顕彰する記念宝物館。国登録有形文化財。

現地ではずいぶん松平定信を推している印象があります。確かに寛政の改革などで非常に知名度がある人物ですが、桑名藩政にはそこまで絡んでいないような・・・
会津の松平容保は非常に有名なので、同様にこちらでは松平定敬を推してあげればいいのに。



PA050117.jpg PA050118.jpg
三の丸跡(吉之丸コミュニティパーク)

藩主の御殿があった場所。明治維新後は煉瓦造りの桑名紡績工場が建設され、その際付近の内郭堀は埋められた。桑名紡績はその後三重紡績、東洋紡績と変遷したが、昭和20年の空襲で破壊されます。



PA050017.jpg
国交省水門統合管理所として外観復元された蟠龍櫓

揖斐川の七里の渡に面して建てられていた蟠龍櫓は、東海道を行き交う人々が必ず目にする桑名のシンボルであったということです。歌川広重の東海道五十三次でも、この蟠龍櫓が象徴的に描かれています。

こちら側から見ると窓もなくのっぺりとしていますが、逆側は窓があり、より櫓っぽい外観になっています。
なお蟠龍櫓は2階が展望室になっていて無料で中に入れるのですが、この日は運悪く休館日でした。残念。



PA050024.jpg
七里の渡からつながる水堀

「九華公園散策マップ」には堀の名称が記載されていませんが、縄張り的には三之丸堀として問題ないでしょう。



PA050027.jpg
三之丸堀石垣

桑名城の石垣は、明治政府の桑名藩に対する懲罰処分として四日市港築造の資材として転用されました。そのなかで、この場所の石垣は築城当時のものが残り、県指定史跡となっています。



=============================================
所在:三重県桑名市吉之丸
評価:★★★☆

公園としてきれいに整備されており、縄張りもよく感じ取ることができるので個人的にはかなり好きな城です。が、建築物はおろか石垣も大部分はなくなっているため、一般的な城好きには物足りなく感じられてしまうかもしれません。かなり大規模な平城であったはずですが、それを感じ取れなくするほど徹底的な破却が行われたということです。新政府軍、ろくなことをしないな。
=============================================
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: