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桑名城① ~九華扇の水城~

上総大多喜城から10万石で伊勢桑名へ封じられた本多忠勝が本格的に整備したのが現在の桑名城です。



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本多忠勝像 蜻蛉切付き

うーむ、なかなかに威厳あります。

・・・ああ、申し遅れました。現在地は三重県桑名市の九華公園。
新章「紀伊半島一周の旅 」編は、紀伊半島の東の付け根部分にある桑名城の朝一登城からスタートです。
もはやいつ訪れたのかも定かでないほど遠い昔のことのようだ・・・(笑)
在庫が腐るほどあるので前置きは割愛してサクサク行きます。



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船入橋と三之丸堀

三之丸堀は写真奥にある船入門から揖斐川へとつながる。
向かって右手側は三之丸跡で、現在は有料駐車場と吉之丸コミュニティパークになっています。
本多忠勝像があるのは駐車場のすぐ隣。



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西側正面、公園碑や説明板があります

戦国時代の桑名の地には土豪が蟠踞(ばんきょ)し伊藤武左衛門の東城、樋口内蔵の西城、矢部右馬允の三崎城の桑名三城と呼ばれる城があった。現在の桑名城東城があった辺りであり、永正10年(1513年)に伊藤武左衛門が城館を築いたのが桑名城の起源と考えられている。天正2年(1574年)織田信長がこの地を征し、部将の滝川一益が三城を配下に置いた。その後、豊臣秀吉の時代になると神戸信孝、天野景俊、服部一正、一柳直盛、氏家貞和、松平家乗と支配者が目まぐるしく入れ替わった。
関ヶ原の戦い後、覇者となった徳川家康は慶長6年(1601年)徳川四天王の本多忠勝を桑名10万石に封じた。忠勝は入封直後、揖斐川沿いに城郭の建造を開始した。城には船着場も整備し、4重6階の天守をはじめ51基の櫓、46基の多聞が立ち並んだ。また同時に城下町も整備された。築城開始当初には四天王の一人である井伊直政も家臣を動員して普請の応援を行ったという逸話がある。 元和3年(1617年)2代忠政は播磨姫路藩に移封となり、代わって松平定勝が入城。松平定重の時代、元禄14年(1701年)には桑名市街地の過半を焼く大火に遭い、この際に天守も焼失し以後再建はされなかった。 (wiki参照)


右手奥に見える橋は扇橋。



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絵図拡大

広大な揖斐川を背後に扇を広げたような形状をしていることから、「扇城」の別名もあります。
水運を利用した水城であり、素晴らしい縄張りは思わず見とれてしまいますよ。



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扇橋から二之丸堀越しの眺め

それでは扇橋を渡り、本丸を回廊状に取り囲む郭へ。ここは浮島状になっており、正面の九華橋から本丸へ、左手には筏橋から駐車場方面へ、右手は無名橋から二之丸へと続きます。この場所には管理事務所があり、ちょうど管理人のおじさんが現れたところだったので、鍵を開けてもらいいろいろと資料をいただくことができました。ここにある九華公園散策マップは初めての人には必携です。



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筏橋                                花菖蒲園

いろいろな句碑や刻印石などがあります。

ちなみに九華公園の名称の由来として、中国にある九華扇という扇と、桑名城の通称の扇城をかけているというものがあります。ほかにも、九華は「くはな(くわな)」と読むことができ、江戸時代には桑名を表すものとして使用されたことから名づけられたという説もあります。



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堀越し(散策マップによると「吉之丸堀」)に眺める本丸神戸櫓跡

先人たちの登城気でもよく紹介されているアングルで、写真からは結構雰囲気がありそうに見えたのですが、先人たちの感想は風情がないというものも少なからずあります。実際現地に訪れてみてなるほどと思いました。これは石垣ではなく公園色が強い護岸用ブロックで、いわゆる城感が損なわれているんでしょうね。いや、私は嫌いではないですけれど。



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本丸の前に南側の郭へ進みます。カラフルな橋を渡り花菖蒲園を過ぎると野外ステージのある一角に出、傍らには「奥平屋敷由縁の記」があります。



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二之丸堀(南面)

広大な堀で、水城の面目躍如。



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この場所は二之丸の一角であり、東面と南面には公園のものではなく城郭の石垣が残存しています。ただし、水面上の部分は後世に組みなおされている様子があるとのこと。



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対岸にある離れ小島も二之丸の一角であるとのこと。まぎわらしい。
現在の島の形状と往時の縄張りとでは相違している部分もあります。



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それにしても橋だらけ

縄張りは多少の改変があるにせよ、水城の本質はよく残っています。
主要部分は陸地よりも水面の面積のほうが広いんじゃないかな。



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先ほどとは逆の対岸から見た二之丸

ほとんどコンクリブロックのこの城では貴重な残存石垣の姿。



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二之丸橋

南面に架かる城内最長の橋。



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二之丸堀越しの二之丸(二之丸橋上から)



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ここにも橋

二之丸と朝日丸を繋げる橋。朝日丸は本丸を取り囲む郭の一つであったが、現在は堀は埋め立てられ本丸と地続きになっています。間を隔てる堀は吉之堀で、二之丸堀に劣らず幅広。



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吉之堀越しに眺めた本丸方面

手前の小高くなっているところが辰巳櫓跡、奥のこんもりしているところが神戸櫓跡。



ここらで動画



急に機械音が鳴り響きだしたが・・・


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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