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七里の渡

桑名城蟠龍櫓のすぐ隣にあるのが七里の渡(しちりのわたし)



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大鳥居

熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡」と呼ばれています。当時は、東海道の42番目の宿場町として大賑わいを見せていました。ここにある大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。



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慶長6年(1601)正月、江戸と京都を結ぶ東海道が制定され、桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は、海路7里の渡船と定められた。のち佐屋宿(現愛知県海部郡佐屋町)へ川路3里の渡船も行われた。宮までの所要時間は3~4時間と思われるが、潮の干満によりコースは違っており、時間も一定ではなかった。ここは伊勢国の東入口にあたるため、天明年間(1781~1789)に、伊勢神宮の「一の鳥居」が建てられ、以来伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられている。
明治になって、東海道制度は廃止となったが、揖斐川上流の大垣との間に客船や荷物船の発着場となっていた。昭和34年(1959)の伊勢湾台風以後の高潮対策工事のため、渡船場と道路の間に防波堤が築かれて、旧観は著しく変化し、港としての機能は全く失われた。昭和63年から平成元年(1989)にかけて、付近の整備修景工事が行われた。




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当時の様子



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揖斐川・長良川 その奥には木曽川も

川幅・水量ともに膨大で、現代でも付近に架けられている橋はR1とR23のみ。



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国交省管理の水門

なかなかにものすごい構造物で・・・



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例のごとく先端に立ってみる

完全に垂直のため、高石垣の突端や山の断崖よりも怖かったかも。



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奥に見えるのは蟠龍櫓

東海道における唯一の海上路で、海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つであったという「七里の渡」。水門管理事務所周辺には宝暦治水から続く治水史が紹介されています。この地は古来から治水整備が続けられており、治水事業の大変さを感じ取ることができます。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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