弁天台場 ~新撰組最後の地~
- 2016/02/01
- 00:00
最終日の本日は夕方までには新千歳に戻らないといけないので、逆算すると函館を探訪できるのは午前中のみ。そのため短時間でも効率よく回るため、前日夜にルートは検討済み。いつもだいたいの下調べで現地で何となく場所を探り当てることを得意とする私としては、異例といえる入念な準備です。
函館市内のホテルを早めに出発し、函館市街に点在する史跡巡りを開始。
函館山 いい天気
最終日にしてようやく黄砂が飛び去り、青空が広がる。
もっと早く飛び去ってもらいたかったものですが、雨降りが1日もなかっただけ良しとしましょうか。
さて、本日最初の目的地である弁天台場(弁天岬台場)は、現在函館どつく(ドックにあらず)造船所の敷地になっており、往時の面影はありません。
標柱
設計者は武田斐三郎。周囲390間余(約710m)、不等辺六角形で、上から見ると将棋の駒のような形をしていた。総面積は11,611坪(約383,000m²)、 高さ37尺(約11.2m)の石垣をもつ土塁2,350尺(約780m)で囲まれていた。東南端にはトンネル式通路のアーチ型入口を構えていた。砲眼15門(60斤砲2、24斤砲13門)を装備し、その中にはエフィム・プチャーチン搭乗のロシア艦ディアナ号のものもあったといわれている。土石は主に函館山より切り出し、大手門などの重要な部分には、大坂から運んだ備前御影石を用いたといわれる。工事は松川弁之助が請け負い、翌年から井上喜三郎がこれを引き継いだ。
江戸幕府が安政3年(1856年)から文久3年(1863年)にかけて、外国船襲来に備えて箱館湾沖に建設した。しかし実際に使用されたのは箱館戦争という内戦においてだった。箱館戦争終盤の箱館湾海戦において、新選組が中心となった旧幕府軍はこの台場にたてこもり奮闘したが、箱館市内が新政府軍によって占領され孤立。明治2年(1869年)5月15日、本陣五稜郭に先立って弁天台場は新政府軍に降伏した。
明治30年頃に取り壊され、現在は函館どつく入口前に碑が建つのみとなっている。なお使われていた石材は函館漁港の護岸に使用されている。 (wiki参照)
1坪約3.3㎡とすると11611坪は38,300㎡強となるので、上記の文中表記は桁が一つ違ってますね。
wikiの内容が間違っているのは日常茶飯事なので別にいいですけど。
自転車たくさん
標柱は函館どつくの入口(裏門?)前にあります。勘のいい人、標柱探しに慣れている人なら割とすぐ発見できますが、運が悪いとなかなか見つけられないかもしれません。
標柱のある場所から南に100mほど進むと公園があり、一角に台場の説明板が設置されています。
弁天岬台場跡
西洋列強からの圧力が増してきた江戸末期に、幕府は蝦夷地を2度目の直轄領とした。安政元年(1854)、箱館奉行竹内下野守と堀織部正は、箱館の警備について幕府へ上申し、弁天岬台場を築造することになった。
台場は、安政3年、10万両の予算で、現在の函館どつくの一角に着工された。設計・監督は五稜郭と同じ武田斐三郎によるもので、不等辺六角形(周囲約684m、面積約32,340㎡)をした台場は、元治元年(1864)に完成した。
この台場が実際に使われたのは、箱館戦争の時であった。台場を占拠した旧幕府脱走軍は、新政府軍と砲戦を展開したが、新政府軍に圧倒され、明治2年(1869)5月15日、台場に籠城していた箱館奉行永井玄蕃ほか約240名全員が降伏した。
台場はその後、弁天砲台として陸軍省の所轄となり、函館砲隊が守備していた。明治29年(1896)、港湾改良のために取り壊されて周囲が埋め立てられたので、今は昔の姿を知ることができない。
(説明板参照)
こちらの面積表示は正しいもののようです。
さすがに市が設置している説明板と誰が編集しているかわからないwikiとでは信頼度が違います。
かつての台場の様子
弁天台場図(仙台藩白老元陣屋資料館の展示)
同じ公園にある「新撰組最後の地」碑
箱館戦争のとき、旧幕府軍の一隊として、ここにあった弁天台場を守っていた新選組百余名は、明治2年(1869)新政府軍の猛攻撃で、5月15日降伏した。
ここが最後の地である。
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所在:北海道函館市弁天町、入舟町
評価:★
遺構はありませんが、標柱も説明板も設置されているので満足です。この台場の石は函館漁港の防波堤の石に転用されているので、そちらまで確認するのもよいでしょう。新撰組ゆかりの地巡りをしている人は外せないポイントの一つになるでしょうか。
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