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松前町郷土資料館

松前城馬坂口へ出た後、マップに書かれていた郷土資料館まで行ってみようと思い立ちました。
馬坂口からは1kmはないでしょうが、7~800mは離れていた感覚があります。
この後の行程を考え、ちょっと時間が厳しいかもなどと思いながら速歩で進み、資料館に到着。

ん?ちょっと待てよ。



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無料駐車場あり

資料館に無料駐車場があること自体は当たり前のことです。
ただし、私は先ほど有料駐車場で係のおばちゃんにはっきりと確認しているのです。この資料館の駐車場も有料なのですか、と(こちら参照)。思いっきり騙されてしまった。距離を歩くのは全然苦ではないのです。ただ、ここでかなり往復の時間をロスしたのが大きいのです。実際この日は後半、かなり駆け足の探索が続くことになります。最初からここに駐車していれば、30分以上は時間短縮できていただろうと思うと、本当に残念です。その時間と駐車場代500円で地元のお土産でも買えたというのに。



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切り替えて郷土資料館へ。
資料館は松前町町民総合センターという施設内に入っています。施設内には町立図書館もあります。
この資料館は1、2階にまたがる本格的なものですが、何と入場料は無料。ありがたいことです。



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先史時代から始まり、和人地の成立まで

(右)アイヌが使用した、ひもに触れると自動的に毒矢が飛び出すという仕掛弓(アマックウ)の展示



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(左)松前氏の独立
日本最北の豪族蠣崎氏は、秀吉の天下統一事業が進む時期の第5世慶広の時に中央接近策をとり、文禄2年(1592)秀吉より蝦夷地交易の独占権を認められました。ついで慶長9年(1604)家康からも同趣旨の制書をもらい、ここに近世大名としての松前氏が誕生します。松前藩の成立は、アイヌ民族への新しい差別と収奪の始まりを意味しました。

(右)無高の大名
松前氏は領内で米が取れなかったため、石高のない無高の大名として存在し、当初は幕府より「蝦夷島主」という扱いを受け、江戸時代中期以降は1万石格になりました。



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(左)藩制を支えた近江商人
米の取れない松前藩にとって、交易が藩を支える重要な柱になりました。江戸初期、本州との交易で大きな役割を果たしたのが近江商人たちでした。

(右)金山の開発と鷹
商品の少なかった江戸時代初期には、砂金と鷹が藩の有力な財源となり、藩は金山と鷹場の開発に大くの力を注ぎました。



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求福山山車 同幕                        北前船正月船・沖口役所標柱



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虐げられたアイヌ民族



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福山館福山城                         3万石の大名



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函館戦争資料



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ホールにある絵画


有料でもおかしくない充実した展示資料でした。
松前城の天守内の展示に満足できなかった方はこちらまで足を運んでみることをおすすめします。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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