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松前城② ~夷酋列像~

眼前には立派な門構えの入城口。
ここからいざ天守内へ。



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入城料は大人360円。天守内部は歴史資料館となっています。
入口には松前家家紋の「丸に割菱」が掲げられています。
武田菱のように思えるのも当然で、松前氏1世の信廣は源頼義を先祖とする武田氏の一族なのです。
甲斐武田氏、安芸武田氏、若狭武田氏はいずれも滅亡したが、松前氏系統は長く存続します。



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入城受付には例のステッカーが掲示されていますが、スタンプはここではなく天守1階出口カウンターにあるようです。写真からはあまり感じ取りにくいかもしれませんが、この日はさくらまつりの影響もあってか高齢者の団体客などが多く、かなり混雑気味。受付にスタンプを置いておくと渋滞が発生してしまうので避難させているのでしょうか。



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階段を下り地下トンネルを通ると天守地階に出ます。

地階はアイヌ資料フロアで、衣服や民芸品などが展示されています。
階段を上り1階へ。



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1階は松前藩関係資料フロア。
絵図や家系譜、制書、江戸松前藩邸図、家臣名簿などなど。
「銅雀台の瓦硯」なんてのもありました。


1階フロアからは外に出られるようになっていて、出口カウンターにはおねえさんが座っています。
このおねえさんに申し出すると100名城スタンプを出してもらえました。
トータル89城目を無事押印。スタンプ状態は並。
通常の記念スタンプもあり、合わせて押印。

このとき私がスタンプ押し始めるとほぼ同時におばさん・おばあさん集団がスタンプに食いついて群がってきたので危機一髪でした。電車などでは若い人は高齢者に席を譲るべきですが、こういった場所では高齢者集団に先に譲ると超絶タイムロスになります。先を譲ったがゆえに苦い経験を過去に何度もしている私は、このような場所で高齢者集団の気配を察知したら無意識のうちに先をとるように行動するようになりました。こちらが先をとってすぐに済ませれば誰も困ることはないのですからね。

おばはんたちはシャチハタの100名城スタンプをスタンプ台のインクにつけようとしている様子。やめなされ。
そんなおばちゃん集団をしり目に2階へ。


2階には書の作品がずらりと展示。
金子鴎亭という人の作品展となっています。
一応写真もあるのですが個人的興味が薄いので割愛。


最上階の3階へ。
3階は「夷酋列像」のパネル展示がされています。

『夷酋列像』(いしゅうれつぞう)は、江戸時代後期の松前藩の家老で、画家としても高名な蠣崎波響が、北海道東部や国後島のアイヌの有力者をモチーフに描いた連作肖像画である。

寛政元年(1789年)5月、国後島とメナシのアイヌが和人商人の酷使に耐えかねて蜂起し、現地にいた70人余りの和人を殺害した。これがクナシリ・メナシの戦いである。
事件を受けた松前藩は260名の討伐隊を派遣したが、その指揮官の一人が蠣崎波響だった。戦いを鎮圧した後に討伐隊は藩に協力した43人のアイヌを松前城に同行し、さらに翌年の1790年にも協力したアイヌに対する二度目の謁見の場が設けられた。藩主・松前道広の命を受けた蠣崎波響は、アイヌのうちもっとも功労があると認められた12人の肖像画を描いた。これが「夷酋列像」である。
絵は寛政2年(1790年)11月に完成し、波響はクナシリ・メナシの戦いで失った藩の威信を回復するために絵を持参して上洛する。大原呑響・高山彦九郎・佐々木良斎の尽力により、夷酋列像は光格天皇の叡覧を仰ぐことになる。
(wiki参照)


クナシリ・メナシの戦いについては、ノツカマフ1号チャシのところで少し触れています。
探訪記を掲載するうえでは4か月ほど経過していますが、実際は根室訪問からまだ3日しか経過していないので、この時の私には「夷酋列像」はたいへんタイムリーなトピックでした。

以下12人の肖像画。



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(左)マウタラケ(麻烏太蠟潔) - ウラヤスベツ惣乙名
(右)イコリカヤニ(乙箇律葛亜泥) - クナシリ脇乙名

乙名とは指導者の意。



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ニシコマッケ(泥湿穀末決) - アッケシ乙名 弓に優れ、威名は東部にとどろくという
ノチクサ(訥窒狐殺) - シャモコタン乙名 道理をわきまえ、知慮にあふれる



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シモチ(失莫窒) - アッケシ脇乙名 幼少より体術に巧みで弁舌に優れていた
イニンカリ(乙唫葛律) - アッケシバラサン乙名 侠気にあふれた



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ポロヤ(卜羅亜鳥) - ベッカイ乙名 クナシリ島アイヌの説得をする
チキリアシカイ(窒吉律亜湿葛乙) - ツキノエの妻、イコトイの母



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チョウサマ(超殺麻) - ウラヤスベツ乙名
イコトイ(乙箇吐壹) - アッケシ乙名 常に槍を携えている



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ツキノエ(貲吉諾謁) - クナシリ惣乙名
身長6尺余(180cm余)、眉目秀麗、腕力出群。部下の中の雄弁な者に説得の演説をさせ、騒動を鎮めた。鎮圧の功績第一という。



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ションコ(贖穀) - ノッカマフ乙名
根室の総指導者。威厳があり、深い智恵にあふれ貧しいアイヌを救ったという。


これで全員かな?
おそらく城を見に来た一般観光客からはほとんど興味を持たれないであろうこのフロアの展示は、私にとっては大変興味深いものでした。



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最上階からの松前湾の眺め

米のとれない「無高の藩」ながら、漁業権益で繁栄した最北の藩、松前。
幕末には北辺警備の要とされ、海防強化の目的で大改築されています。
こうして海を眺めると、この場所に城が築かれた意味というものを考えさせられます。



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天守退出。

目の前の広場はその①でも触れた本丸表御殿跡。奥には松前神社が見えます。



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本丸御殿の復元イメージ。
これだけの建物があると壮観でしょうね。



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本丸御門(国重文)

安政元年(1854)建立。
櫓門、切妻造、銅板葺。



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本丸内側からの本丸御門。重厚な造りです。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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