FC2ブログ

記事一覧

志苔館① ~道南十二館の一つ~

大船遺跡からR278バイパス尾札部道路~r83で山越えをして一気に亀田半島南岸へ。
18時近くになりだいぶ陽も傾いてきましたが、まだ探索可能なのが日の長い季節の有利な点。
本日一番期待の志苔館(しのりたて)に向かいます。

志苔館は、北海道函館市に所在する中世城館跡。小林氏によって築かれたとされる道南十二館のひとつ。国の史跡に指定されている。

道南十二館(どうなんじゅうにたて)は、蝦夷地(後の渡島国、現北海道)渡島半島にあった渡党領主の館の総称。松前藩の歴史を記した『新羅之記録』に十二の館が記されていることから、この名がついた。東は函館市に所在する志苔館から西の上ノ国町の花沢館まで、渡島半島南端の海岸線に分布する。安東氏の被官である館主はこれらの館をアイヌ民族や和人商人との交易や領域支配の重要拠点とした。
(wiki参照)




P5070496s.jpg P5070573.jpg
場所は函館空港の南、海に面した高台の上。道路地図にも明記されているので迷うことはありません。
国道から案内表示に従い進むと、すぐにそれらしい地形が現れます。
車で奥まで進めそうな気配でしたが、道が荒れていたので車は道路脇の空きスペース(1台分くらい)に駐車。



P5070514.jpg
城址碑&説明板

志苔館跡は、函館市の中心部から約9km離れた標高25m程の海岸段丘南端部に位置している。西側には志海苔川が流れ、南側は志海苔の市街地および津軽海峡に面し、函館市街や対岸の下北半島を一望することができる。
館跡は、ほぼ長方形をなし、四方は高さ2~4m、幅10~15mの土塁で囲まれ、その外側には、壕が巡らされている。郭内は、東西70~80m、南北50~65mで、約4,100㎡の広さがある。また、館跡の正面にあたる西側には、二重に壕が掘られ、さらに外側に小土塁が巡らされている。
松前藩の史書「新羅之記録」によると、室町時代頃、道南地方には12の和人の館があり、志苔館もその一つで、小林太郎左衛門良景が居住していたことが記されている。この記述によれば、康生2年(1456)志苔館付近でアイヌの蜂起があり、この戦いにより翌長禄元年5月14日志苔館が攻め落とされたといわれている。
戦いの後、再び小林氏が館に居住していたが、永正9年(1512)4月16日にアイヌの蜂起があり、志苔館は陥落し、館主の小林彌太郎良定が討死したといわれている。その後は、小林氏が松前藩に従属したために、志苔館は廃館となった。(説明板参照)


館主小林氏の祖先は上野(群馬県)に住し、次郎重弘の時に蝦夷に渡ってきたといいます。一説には、徳治元年(1306)に小林重弘が津軽から渡って築城したともいわれます。説明板に記載の小林太郎左衛門良景は、重弘の孫であるということです。



P5070508s.jpg
志苔館案内図

シンプルな縄張りながら、周囲の堀と土塁の規模がかなり大きい。



P5070512.jpg P5070510.jpg
西側土塁(東側)                         西側土塁(西側)



P5070517.jpg
二重壕部分

中間に遊歩道が整備されています。



P5070519.jpg
本郭側の堀・土塁



P5070521.jpg
西側堀切



P5070569.jpg
二重壕の外、西側土塁からの眺め 正面が本郭虎口

郭外遺構
郭外には、主に外敵からの防御を目的とした壕、土塁、門、柵、橋、土橋等が配されている。壕は、土塁外側の四方に巡らされている。館の開口部に当たる西側には、二重の壕が掘られ、北、東、南側は自然の沢を利用して壕としている。
発掘調査の結果、館を構築した当時は、西側に外柵を設け、その中央の門を通過し、薬研(やげん)の二重壕に架けられた橋を渡り、さらに門を通過して郭内に入る構造であったことがわかった。その後、郭外は郭内とともに造り替えられていった。外柵は埋められて土塁が築かれ、郭内側の壕も薬研から箱薬研へ、また橋も土橋へと移行した。
ここには、館の構築当時の姿を、できるだけ復原するとともに、その後に構築された土塁、土橋等も保護・保存し、館の変遷がわかるようにしている。(説明板参照)




P5070567.jpg
本郭虎口から西側の眺め

説明板に記載のとおり西側の外柵は土塁となり、二重壕の外側は木橋、内側は土橋となっています。
海を隔てた先には函館山、立待岬が望めます。



P5070559.jpg
本郭土塁上から二重壕越しに西側土塁を眺める



P5070562.jpg
同じく本郭土塁と二重壕



動画にて



1968年、志苔館の南西方向100メートル地点から、埋納されたと推定される越前焼、珠洲焼の大甕3個の中より計38万7,514枚におよぶ、主として中国の銅銭が出土している。これは日本国内で1か所から発見された古銭としては最大級の量である。「北海道志海苔中世遺構出土銭」として国の重要文化財(考古資料)に指定され、市立函館博物館に所蔵されている。(wiki参照)


これだけの大量の銅銭を蓄えていたということは、本州とはもちろんのこと、直接大陸とも盛んに海上交易をおこなっていたのでしょうか。15世紀に埋められたと推定されていることから、アイヌの蜂起の時に緊急避難的に埋納したものと思われます。



その②へ
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

11 | 2019/12 | 01
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: