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砂原陣屋 ~東蝦夷地南部藩分屯所~

ヲシャマンベ陣屋探索後、R5大沼国道をひたすら南下。
一桁国道とはいえこの区間は交通量が少ないらしく、たまにいるチンタラトラックも一瞬でパスできる快走路。
正面遠くに見える北海道駒ケ岳が徐々に大きくなっていく様を眺めながら快適ドライブを楽しみます。
その北海道駒ケ岳の麓でR278に入り砂原方面へ。



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南部藩の出張陣屋の一つ・砂原陣屋。旧砂原町の中心部近くに築かれました。
R278を西側から進むと、道の駅や町役場支所を過ぎて少し走った先の左手にこの大きい看板が立っているので見逃すことはありません。



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南側入口にある「砂原南部藩屯所跡」の石碑

幕府は安政2年(1855)4月、仙台、秋田、南部、津軽及び松前の5藩に、蝦夷地警備の分担を命じた。
南部藩は箱館表出崎の警衛を主として、恵山岬から東蝦夷地幌別まで、一帯の海岸を持場として、箱館谷地頭の北方に元陣屋をおき、この砂原の地にも安政3年10月から翌年1月にかけて、室蘭(モロラン)陣屋砂原分屯所として陣屋を築造した。 また、砂原には市中と神社脇や駒ヶ岳の麓に小屯(見張所)を置いた。明治元年(1868)砂原陣屋(分屯所)内の家屋等を壊して引揚げるまで、常に約30名の藩兵が駐屯していた。
広さは東西約37間(66.6m)、南北約33間(59.4m)の方形に、周囲の土塁の高さ、約一丈(3m)と記録されている。
(現地説明板参照)


地図を確認してもらうとわかりますが、この砂原陣屋は内浦湾を挟んで対岸のモロラン陣屋へのほぼ最短距離に位置しています。内浦湾内部への進入を警戒するのに適した立地に築かれていることに感心します。



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陣屋内部の様子

内部に駐車スペースがあるので車で進んでOKです。



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北側虎口

海岸を警衛する陣屋の性質上、こちら側が大手なのでしょうか。
虎口を抜けると正面に内浦湾が広がります。



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北側虎口 陣屋外から

南北の虎口から陣屋を貫通する道は地域住民の生活道路になっているようです。



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北側土塁 陣屋外から

奥に見える山は北海道駒ヶ岳。



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土塁は登るのが礼儀というもの、ということで北虎口上から。

車を停めてあるので比較対象にちょうどよろし。



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土塁上から、陣屋内東側

東側土塁の外側の畑は堀跡らしき形状になっています。おそらく往時は周囲全体を堀で囲んでいたのでしょう。



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土塁上から、陣屋内西側

見事に土塁が完存してます。美しい。
中世の単郭方形館とは時代背景もコンセプトも異なるのに造りが同じであることも興味深いところです。



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土塁上から、陣屋内中央

南部藩出張陣屋の中では一番小規模ではありますが、それでもさすがに近世陣屋、内部は広いです。
30人からの藩士が常駐できるだけの規模はあります。
どのような建物が建っていたのですかね。



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陣屋中央南側には忠魂碑が設置されていました。



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所在:北海道茅部郡森町砂原
評価:★★☆

出張陣屋の中でも分屯所であるため、同じ南部藩陣屋の中でも一番小規模ではありますが、そのため遺構全容をとらえやすくなっています。国指定史跡として整備状態も良好。周囲の土塁も完存しており見ごたえあります。これで南部藩の出張陣屋(モロラン陣屋ヲシャマンベ陣屋砂原陣屋)はすべて制覇したことになります。
あと残すは函館にある元陣屋のみ。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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