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篠山城② ~天下普請の高石垣~

大手から外堀を渡り三の丸へ。
するとそこは・・・



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三の丸広場はイベント会場と化していた。

この日(平成27年10月10日)はちょうど「丹波篠山味まつり」の開催日。

江戸時代、山陰道の要衝に築かれた篠山城。城を中心に街が広がり、街道が整備されました。人が集まるところに文化が生まれ、その文化は京都の影響を色濃く受け、歴史的な町並みや祭りなどに京文化のみやびな伝統を受け継いでいます。
今では、その豊かな歴史と農産物とともに、日本の原風景、日本人の「こころのふる里」ととらえられています。篠山盆地の霧と寒暖の差を活かした特有の農産物は、昔からその味と品質の高さで食通をうならせてきました。
丹波の黒豆として有名な「丹波篠山黒大豆」をはじめ、丹波栗、丹波篠山牛、丹波松茸、丹波篠山山の芋 、猪肉など、全国に知られた食材と自慢の料理が目白押しです。
どこか懐かしく、こころやすらぐ丹波篠山。美食堪能、町並遊行、歴史探訪、食材探索、美酒鯨飲、美景満喫と、老若男女、誰もが楽しめるイベント空間を用意しました。 (上記HPより)


食材の宝庫であることはよくわかりましたが・・・



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それにしてもなんちゅー人込みですか。
これはえらい時に来てしまったな・・・
これだけの人が集まれば、イベントとしては大成功でしょうね。

ここで特産物の買い食いレポでもすれば一般の方の共感を得られるのでしょうが、このブログにそんなことを期待してはいけません(笑)



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イベントの雰囲気だけは十分堪能しました。イベントの司会の人のノリのいい進行を背後に聞きながら、城の探索を再開します。出店の向こうには大書院の屋根が見えていますが、そこはラストにとっておいて、次は内堀周りを見てみましょう。
別にじらしているわけではありませんよ(笑)



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三の丸北西側から。「折れ」が顕著なところ。
折れは銃撃の際の死角をなくし横矢(側射)を可能にするもの。
「何で石垣が所々カクカクしていたり出っ張ったりしているんだろう」と思っていた方は、このような理由があったということを頭の片隅に入れておくと今後見方が変わりますよ。



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三の丸南西側から。

1609年(慶長14年)徳川家康は、松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに新城の築城を命じた。これは、山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとするのが目的であったとされる。篠山盆地中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、藤堂高虎が縄張を担当した。普請総奉行を池田輝政が務め、15か国20の大名の助役による天下普請により6か月で完成した。(wiki参照)


天下普請によって築かれた城は(徳川)大坂城名古屋城など十数例しかなく、この城の戦略的重要性というものがうかがえます。



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本丸石垣 奥は天守台

城は内堀と外堀を有し、内堀内に本丸と二の丸を設ける。外堀の外周は1辺約400mのほぼ正方形で、東・北・南に馬出を設けていた。二の丸を囲む土塀は所々、屏風折りに外側に突き出しており狭間の死角を少なくする工夫がされていた。築城当初より天守台はあるが天守は建設されなかった。これは石垣や堀をはじめとする城の造りがあまりにも堅固すぎることを幕府が懸念したためと伝えられている。(wiki参照)


手前の内堀は復元整備が進行中。



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天守台石垣

三の丸南東側から。さすがは天下普請の城、圧巻の高石垣です。



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内堀復元工事実施中

廃城後から昭和期にかけて内堀は埋め立てられ、公園・グラウンドとなっていました。
三の丸内は学校が立ち並びもしましたが、その後史跡の復元整備に力を入れられるようになり、三の丸西側にあった中学校は城外へ移転、内堀も復元が進み現在に至ります。

この場所から後ろへ向かうと、篠山小学校のグラウンドの南側を経て外堀の南東隅へ出ることができます。



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続いて内堀の内部へ。
眼上に見えるのは二の丸南面の埋門。



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埋門直下。「農学校発祥之地」の碑があります。
埋門からこちら側へは通行止めで、反対側にスロープが整備されています。
前回来たときは反対側のスロープも通行止めだったような記憶が。
そもそも埋門を出て内堀の外側に出れるような整備状況じゃなかったような。



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はい、前回訪問時の埋門下はこんな感じでまだまだ未整備でした。
ここから内堀を越えて南馬出方面へ抜けるのにえらい苦労をした記憶があります。
この時から比べるとだいぶ整備が進んだなあ。



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おまけで前回訪問時の三の丸南西側からの遠景。
確か内堀を越えることに成功してほっとして写真を撮ったんだったなあ。



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現探訪に戻ります。天守台直下。
天守台石垣の高さは17mあるといいます。広角レンズが必要なほどの大迫力。
前回は草ぼうぼうだったためここまで足を運べませんでした。



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内堀に面した石垣下には幅広い犬走りが設けられています。
これは今治城などと同様、藤堂高虎の縄張りの特徴といえます。

過去2度の訪問では整備状況が悪く降り立つことができませんでしたが、今回はこのようにとてもきれいに整備されています。ただ一般の見学コースとして周知していないためか、見学者は他に一人もいません。



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石垣に刻まれた刻印

天下普請に動員された大名の刻印。
どれがどの大名のものかは不明。いつか説明板が設置されることを期待。



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ここにも刻印

あまりにも人がいないので少々不安になる。もしかしたら南側の整備が完了するまで、この犬走りは積極的には解放しない方針なのかもしれません。



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犬走りの北東部分

ここの折れは実戦的な意味の他に鬼門除けの隅欠けの意味もあります。



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大手のそばまで来てしまった。
さすがに多くの観光客の目の前で堂々と犬走りを進むのは気が引けるのでここで撤退。
この整備状況は明らかに一般客が見学することを想定していると思われるのですが。



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素敵な石垣



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城好きの中でも特に石垣が好きという人は一定割合いますし、一般観光客にも石垣の刻印というのは視覚的にわかりやすい部分ですので、この内堀沿いの石垣の刻印は城のPR要素として今後大いに活用できると思います。



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前回訪問時写真。
やはり犬走りが特徴的。こんな幅広の犬走りって、そうそうないと思われます。
そしてもし突如この犬走りに人が現れたら思いっきり目立つことがこちら側からの視点で再確認しました。
すぐ引き返してよかった・・・


次回:二の丸・本丸


その③へ
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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