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鐘ケ坂峠と3つのトンネル(後編)

新鐘ケ坂トンネル(通称『平成トンネル』)を抜けると、そこは丹波市。


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篠山を巡る旅で、篠山を出てレポートすることになろうとは。
もちろん誰に指示されたわけでもなく、私個人が勝手にやっていることですが。



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丹波市側に出てすぐ右手に簡易パーキングの標識。
ここから旧道を登って鐘ケ坂へ。



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右手に聳える山は先ほど登った金山。
山上に築かれた金山城は、麓から見上げると難攻不落の様相を呈する。

む、頂上付近の地形は・・・

拡大。



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むむむ、これは・・・

さらに拡大。



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鬼の架け橋

麓からもはっきり見えることに驚き。
ってことは、さっきあの岩場の先端に立ってた私もこの場所からは丸見えだったってことか。

江戸時代にこの峠を往来していた人々も、同じ光景を眺めていたんでしょうね。



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旧道は右手に大きくカーブをする手前で通行止めのガードが設置されています。
そこから一段下に公園が整備されており、駐車場も完備。
観光マップや鬼の架け橋の説明板などがあります。



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明治のトンネル 
遊歩道
830m→


ここに来て初めてトンネルの案内を発見。しかも遊歩道の文字まで。
看板自体も新しく、これでもう迷うことはなさそうです。



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この遊歩道は旧旧道(明治道)を利用しているのでしょうか。
すこし上でいったん旧道と合流するので、そこまではどちらの道を使ってもOK。
私は行きにこの遊歩道、帰りに旧道(昭和道)を利用しました。



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昭和トンネル丹波市側

遊歩道と旧道とはこのトンネル手前地点でいったん合流します。



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昭和トンネル篠山市側(再掲)

参考までに。どちらも似たような雰囲気ですね。



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覗いてみると、こちら側は篠山側よりも日の光が差し込まないこともあってか雑草の姿もなく、現役の道路とさして遜色ありません。先ほどは反対側入口からこのトンネルを覗き込んでいたんですね。トンネルを通らずに反対側に行くというのは大変なことです。通れなくなって初めてわかるトンネルの便利さ。



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昭和トンネル丹波市側出口の右急カーブ。
下り勾配でスピード出してたりしたらこのカーブを曲がるのは危ないでしょうね。



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明治トンネルへ向かう旧旧道をふさぐフェンス。開けるには下の棒をはずさないといけないのでちょっと面倒ですが、徒歩なら脇を簡単にすり抜けられるので問題なし。バイクとかを進ませないためのものでしょうか。

道は明治期に切り開かれたものとはいえ車道であるため、思いのほかしっかりしています。



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明治期の道路遺構である石積。

歴史好きの人やその場の雰囲気そのものを楽しみたい人はもちろん、土木工学に興味のある人にも古道歩きはおすすめ。



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道は勾配も緩やかで歩きやすく、定期的に手入れもされているような感じを受けます。



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到着しました。
隧道前には各種碑文や説明板が設置されています。

鐘ヶ坂隧道
通称「明治トンネル」。京都北部 - 阪神間を結ぶ道路整備の一環として、古来より凍結、落石など交通の難所であった鐘ケ坂峠の通行を容易にするために設置された。
1879年、当時の多紀郡長であった園田多祐、氷上郡長であった田艇吉らが発起人となり、兵庫県に建設請願書を提出、翌1880年12月に工事許可が下りた。1883年完成。全長268m。幅員3m。使用されたレンガは約28万枚。総工費は4万円(当時)。レンガ積み工法のトンネルとしては日本最古で(現存する道路トンネルとしても日本で5番目の古さ)、篠山市側には有栖川宮熾仁親王の揮毫による『事成自同』、丹波市側には太政大臣三条実美の揮毫による『鑿山化居』と記された銘板がそれぞれ掲げられている。1883年10月に当時農商務省の大臣だった西郷従道も出席して開通式が行なわれた。
開通後、高度経済成長期まで使用されたが、モータリゼーションの発達に伴い自動車の通行に不便なこのトンネルに代わり1967年、昭和トンネルが開通したため閉鎖され、通じる道路も放置されていたが、近年、文化財的価値が見直されて周辺の整備が進み、現在では近くの鐘ヶ坂公園で毎年行われる桜祭りやもみじ祭りなどのイベントの際に開放されている。(wiki参照)


ちなみに隧道=トンネルの古い呼び方で、意味は同じ。
近年は一般的にトンネルと呼ばれることが多くなっています。



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鐘ケ坂峠は交通の難所で通行や物資の輸送は困難を極めていた。
明治12年多紀郡長であった園田多祐氏と氷上郡長の田艇吉氏数名が発起人となり、鐘ケ坂隧道開鑿之義願書を兵庫県に提出し、翌13年12月に許可となった。
総工費4万余円、鑿岩工夫は6万3000人に及んで完成をみた。その工事費の半額は、多紀・氷上両民の寄付でまかない2年10ヶ月を要して明治16年(1883)に完成した。
日本で5番目に作られたトンネルで、レンガ積みとしてはわが国最古である。
麓の柏原上小倉で3基の釜が作られ、鹿児島からやってきた職人がレンガを焼き約28万枚の煉瓦が使われている。
篠山市側坑口には、明治維新の立役者有栖川宮熾仁親王の「事成自同」、丹波市側には政治家三条実美の「鑿山化居」の石造扁額が掲げられている。延長268m、幅4.5m。




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鐘坂隧道碑                            寄付者の名が刻まれた碑



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国内屈指の古さを誇る現存トンネル、鐘ケ坂隧道。
三条実美の揮毫による『鑿山化居』の銘板も確認できます。

いざ中へ。



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煉瓦積みの趣ある隧道。
いや、これは趣あるなんて言葉で済ませられない重みがあります。
もはや単なる廃隧道ではなく遺跡・遺産といってもいいのでは。



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・・・という私の感想の通り、この隧道は土木学会選奨土木遺産となっています。

兵庫県では湊川隧道とこの鐘ヶ坂隧道が選ばれています。



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隧道は途中にある木の柵により通行止め。

イベント時は解放されるようですが、本日はここまで。



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隧道の線形が真っすぐのため、反対側の出口の明かりもよく見えます。
ってこれじゃなんだかよくわかりませんね(この写真は倍率1倍)。
閉塞・崩落などなく、現役を終えて半世紀経つのにいまだ隧道としての本来の役目を果たしています。



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振り返って。



動画にて




ということで、明治・昭和・平成の各時代のトンネル巡りは終了。


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3つのトンネルに加え江戸期の峠道まで併せて攻略した人はそう多くないかもしれません。
昔から峠を越えるのに様々な苦労をしてきたことがことが実感として感じ取れました。



おまけ1

遊歩道を小走りで戻る途中、道の中央に枝が落ちている。

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・・・と思ったら、ヘビだった。

思わず超ジャンプして飛び越えた。

写真は飛び越えた後、改めて撮影。苦手な人もいるでしょうからやや小さめの画像で。
マムシかと思ったけど、ジムグリですかねこれ。



おまけ2

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車を止めた公園そばに「不動の瀧」の表示があったので、行きがけの駄賃で見に行きました。



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ちょっと坂道を登ると、すぐ滝が現れました。

有名な滝ではありませんが、いい雰囲気です。



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この数日前に那智の滝を見ていたので、それと比べてしまうと・・・でしたが、それは比べる対象が悪すぎるというもの(笑)


さて、脱線はこれくらいにして、本来のレポートのために篠山市街へ向かいますよ。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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