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壇ノ浦古戦場

門司城から下り一方通行の道を降りていくと、途中展望所のような場所に出ます。
色々設置物もあったので、暑いですが我慢して降りてみます。



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炎天下駐車場。
背後の山がさっき登った門司城
大きな壁画が目を引きます。



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壇ノ浦合戦壁画

義経・教経・二位の尼・安徳帝・建礼門院などが生き生きと描かれています。



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義経らしき人物



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建礼門院・二位の尼・安徳天皇らしき



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イルカちゃんたち。

『平家物語』では、源氏と平家の最後の戦い「壇ノ浦の戦い」で、突如1000頭とも2000頭ともいわれるイルカの群れが現れ、陰陽師の安倍晴信が占いによってイルカが進む方向にいる軍が負けると予言します。その後、イルカの群れは真っ直ぐ平家軍へと進み予言通り源氏が勝利した、と記されています。



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源平壇之浦合戦について

眼下に広がる関門海峡は、一日七百余隻が通過する国際航路であるが、日本の歴史の中に華々しく登場し、やがて散っていった平家滅亡の哀史の地としても有名である。
寿永二年(1183)栄華を極めた平家も衰えを見せ、永年勢力を争った源氏の木曽義仲に追われ京都を逃れた。平家は平清盛の外孫安徳天皇を擁して、百艘ばかりの船に乗り、平家ゆかりの地九州の宇佐八幡を頼ったが、平重盛の家人であった緒方三郎惟義の裏切りにあり、やむなく筑前の大宰府天満宮に入った。
しかし、ここも安住の地ではなく、遠賀川河口の山鹿城(芦屋町)に落ちた。城主山鹿秀遠と香月の庄(八幡西区)香月氏とは共に平家を助けたが、山鹿城へも惟義の軍が押し寄せると聞き、安徳帝と平家一門は小舟に乗って夜もすがら響灘を東へ向かい、豊前の柳が浦(現在の門司区大里)に上陸した。

ここに内裏つくるべきよし沙汰ありしかども、
分限なかりければつくられず、
又 長門より源氏よすと聞こえしが、
海士の小舟にとりのりて、
海にぞうかび給ひける。        平家物語


平家は柳が浦に内裏(この古事により、今の大里と改められており、大里には安徳天皇の行在所となったと伝えられる柳の御所がある。)をつくろうとしたが、もはやその力もなく、また、長門(下関側)からの源氏の襲撃もあるので、瀬戸内海を東へ逃れた。
東へ進んだ平家は一時勢いをもりかえしたが、摂津の一の谷、四国の屋島で源義経の奇襲にあい敗退、再び北部九州へ向かい、これを追って西下した源氏と関門海峡で待峙した。

源氏の船は三千艘、平家の船は千余艘、
唐船少々あひまじれり。
源氏の勢はかさなれば、平家のせいは落ぞゆく。
元暦二年三月廿四日の卯剋に、
豊前の国門司、赤間の関にて源平矢合とぞさだめたる。
すでに源平両方陣をあわせて時をつくる。
上は梵天までもきこえ、下は海龍神もおどろくらん・・・・    平家物語


寿永四年(元暦二年、1185)3月24日の卯の刻(午前6時ころ)、早鞆の瀬戸(関門海峡)のうず潮の中で海戦が始まった。四千余艘の船が、源氏は白、平家は赤の旗印をなびかせて入れ交じった。
当初平家が優勢と見られたが、源氏の勝利を予言する種々の奇跡が現れて、四国、九州の平家方の寝返りと、船の漕ぎ手を先に倒すといった源義経の巧妙な戦法により、その日16時ごろ平家の敗北は決定的となった。
平清盛の妻で、安徳天皇の祖母二位尼は、もはやこれまでと、御座船から8歳の幼帝をいだいて「浪のしたにも都のさぶろうぞ」と海中へ身を投じた。帝の母建礼門院もこれにつづいて入水、平家の武将もつぎつぎと身を投げ、ある者は鎧を重ね、碇を背負い海に入った。
「おごれる人は久しからず、唯春の夜の夢のごとし」五年間におよぶ源平両軍の戦いは史上まれに見る大規模な海戦でその幕を降ろした。

後方の陶板壁画は、眼下の海峡で繰り広げられた源平の合戦図であり、赤間神宮の社宝、安徳天皇縁起図を参考に描いたものである。
壁画中央の御座船に安徳天皇、建礼門院、二位尼の姿がある。
御座船の左上、波間に浮ぶ女性は建礼門院。救われ京都に送られ尼となる。
御座船の右手、海上を跳躍する武将は源義経。平家の猛将平教経に追われて船八艘を跳んで逃れる。世に義経の八艘跳びという。
いるかの群が見えるのは、いるかの様子で吉凶を占ったことによる。

平家物語は日本古典文学大系より抜粋。 平成2年10月 北九州市


今回の旅の最後だから頑張って書きましたよ。

緒方三郎惟義って緒方三郎惟栄館で紹介した人ですね。



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周囲の光景。

きれいな三角形の山、その名も三角山に築かれたのは門司城の支城の一つ・三角山城



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太陽の照り返しが眩しいですが、巌流島も見えます。



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ちょうどこの橋の下が壇ノ浦、ということになります。
壇ノ浦古戦場は対岸の下関側にも史跡が残っているので、いずれそちら側にも足を運びたいと思っています。


長かった九州の旅編もこれで完結。最後に相応しい重みのある場所でした。

次回からは新章・北の大地の旅編開始。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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