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小倉城② ~九州最大級の唐造天守~

本丸から退出。
北の丸へ向かいます。



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多聞口門跡。
多聞とは本来長屋の事で、本丸から北の丸への通り道の門。

正面は着見櫓。



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鳥居の向こうは北の丸だが。

おや、あの男性何をしているのかな。



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おっと、ねこちゃんがいましたか。
失礼して写真を撮らせてもらいましたよ。
ねこ好きに悪い人はいない。今回はこのお兄さんにねこなでなでは譲ります。



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本丸(右側)と北の丸(左側)の間の堀。



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北の丸は八坂神社の境内となっており、建造物が建ち並んでいます。



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いろいろあるなあ・・・

左上の高倉稲荷神社は、天正六年大友宗麟のため兵火にあい一度焼失してしまったとのこと。



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八坂神社拝殿。



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東楼門(でかい!)から一度外に出てみます。



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北の丸の外から。

八坂神社の例大祭(小倉祇園太鼓)は、映画「無法松の一生」で一躍世に知られるようになりました。



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これ。

神社の建物ですが、城を意識した造りとなっており迫力あります。



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上に同じく。



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もう少し左によると天守の姿が見えますが、あえて公開せず(笑)



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新しい街並みとの対比も際立っています。

左の建物、新しいというより前衛的だな。



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再び北の丸内へ。

本丸との間の堀の「折れ」部分。



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「折れ」部分の本丸石垣。



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北口門跡。

下屋敷(現在の小倉城庭園)から北の丸へ行く門。
八坂神社の参道の門を入って右側が門跡(この写真だと撮影者の私が立っているあたり)。



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本丸方向へ真っ直ぐ食い込んでくる水堀。
この堀により北の丸への進入路が大きく狭められ、進入路が限定されています。



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八坂神社参道入口。鳥居の先にある二つの巨石は「中津口門の大石」。

小倉城東の中津口門は明治になって解体され、石垣の巨石は近くの神社に安置の後、現在の八坂神社東側に置かれた。明治時代、小倉に来る若者たちは、この巨石を睨みつけると成功するということで、「大石にらみ」や「出世石」と言ったという。


「細川の大石」「小笠原の割石」と呼ばれる大石のエピソードは以下参照↓

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さすがはDQN四天王の称号を持つ忠興



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小倉城庭園。
細川時代には家老の長岡佐渡の屋敷、小笠原時代には藩主の下屋敷であった。

有料だったのと暑かったので入らず。



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一周して天守前に戻ってきました。
下階より上階の平面を大きく造って張り出させた唐造(南蛮造り)の天守の雄姿。

唐造の天守は岩国城高松城とこの小倉城の3例が確認されていますが、いずれも現存していません。
このほか佐賀城天守も唐造であったという記録があります。
小倉城天守は創建当時は無破風の層塔型であったため、復興天守は外観意匠に正確性を欠いています。

天守台の上面の広さは15間×13間で、熊本城(13間×12間)を上回り九州最大の規模でありました。
なお、近年佐賀城天守台の上面の広さも小倉城と同規模という発掘調査が出ており、ともに九州最大級の天守があった可能性があるようです。

1866年(慶応2年)、第二次長州征討で小倉藩と長州藩の戦闘の際、小倉藩は長州藩の攻勢の前に小倉城撤退を決める。同年8月1日、小倉藩の付火により小倉城を焼却し、幼少の藩主は熊本藩に退避。家老以下の藩首脳は香春で指揮を執った。


・・・ということで小倉城の建物は幕末の動乱で灰燼に帰したわけですが、天守と本丸御殿はそれ以前の1837年(天保8年)に焼失しており、それ以後天守は再建されませんでした。長州軍の攻撃で九州最大級の天守が焼失したとなるとかなり遺恨が残りそうですが、そういったわけではなかったのはまだしも救いといえるでしょうか。



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余談ながら、駐車場を出た時間が12:46。入庫してから33分経過で300円られてしまった。あと3分・・・
今調べたところによると、城内にあるもう一つの有料駐車場(勝山公園有料駐車場)は最初の1時間は200円で、以降30分ごとに150円という料金体系。そちらに停めておけばもう少しのんびり回れて、かつ200円で済んだのでした。失敗したなあ。



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所在:福岡県北九州市小倉北区城内
評価:★★★★

復興天守の写真は以前から見たことがありましたが、それ以外の部分については幕末の戦乱と現代の市街地化でほとんど残っていないのではないか、と登城前には思っていたのですが、予想以上に石垣や堀が良好に残っていてうれしい誤算でした。現100名城以外から新たに100名城を選定しようとすれば、福岡から真っ先に候補に挙がる城です。いずれまた天守内に入るために再訪する日が来るかもしれません。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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