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小倉城① ~九州諸大名監視の城~

九州北部の拠点城郭・小倉城を目指し、中津から北九州は小倉へ。
再び福岡に戻ってきて、九州一周の旅も終わりが近づいてきました。



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残念ながら周辺に無料駐車場はなさそうなので、勝山公園地下駐車場へ。
なになに、30分ごとに150円とな。

3番出口を探そうにも柱に張られた矢印が指している方向が分かりにくし。



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3番出口から出ると、目の前には北九州市役所。

さすがは九州第2の人口・経済を有する政令指定都市。庁舎も立派。



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大手先門跡。

現在の北九州市役所と小倉城庭園の間にあった門。
往時はこの門をくぐり、大手門へ向かった。



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さっそく天守が現れます。すごく立派。

関門海峡に面した小倉は、陸海の交通の要衝として、古くから砦や城が構えられた地でした。この地を抑えるために繰りひろげられた、多くの豪族たちの攻防の歴史も残っています。
小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種や毛利勝信が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。
忠興は城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施。外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭りも誕生させました。
細川氏熊本転封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真が、1632年に入国。小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家光から九州諸大名監視という特命を受けていました。
この時期、小倉は九州各地に通ずる街道の起点として重要な地位を確立し、同時に小倉城は一層充実し、城下町も繁栄しました。
小倉城HPより)


最盛時には大小天守のほか平櫓117、二重櫓16、櫓門12を有していたといい、細川氏40万石の居城に相応しい大城郭でした。現在縄張りとして残っているのは主にその中心部分のみですが、この野面積みの高石垣、私の想像以上です。



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城の正門、大手門跡。

野面積みの石垣の中でも、比較的大きめの石を利用しています。



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折れのある登城路の先にあるのが槻(けやき)門跡。
ここの石垣も立派。

藩主、公儀役人の他、家老や主な寺の住職のみが通行を許された門であったといいます。



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鉄門跡。中老以下一般武士の登城口。

現在は幅を2倍に広げてあり、中央部目地の左側半分が幕末時の石垣と階段。
落城時の様相を示すように石垣が火熱を受けて赤く変化しています。



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鉄門跡の先にある旧第十二師団司令部の正門。

煉瓦造りの正門は当時のもので、明治32年(1899)6月から第十二師団の軍医部長を務めた森鴎外もこの門を通って登庁しました。



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西ノ口門跡。

小倉城の裏門にあたり、二の丸から本丸と松の丸へ入る門。



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西ノ口門跡から外にでると二の丸。

すぐの場所にある建物は松本清張記念館。



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西ノ口門跡から見た本丸高石垣。

折れのある石垣と水堀のラインがたまりません。



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続いて松の丸方面へ。面白い形の建物があります。

白洲灯台岩松翁記念塔

明治初頭、長浜(小倉北区)の岩松助左衛門は、小倉沖の白洲付近で船の遭難が相次ぐ事を見て灯台を建てようと私財を投じ義金を募って建設にかかったが、私設灯台禁止により政府の手ですすめられ、完成前に灯台を見る事なく亡くなった。
この塔は岩松翁が設計した白州灯台を模したものです。昭和38年、5市合併による北九州市誕生に合わせ翁の遺徳を偲ぶと共に水難救助のため尽くした功績を顕彰するためにこの地に建てられました。京町4丁目にある再顕寺には助左衛門の墓があります。




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「西国一の魔の海」と恐れられた小倉藩沖の岩礁地帯に灯台を。

私財をなげ出して、というのは本当に素晴らしいことです。



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さて、いよいよ本丸内の天守へ。

立派な威容だが、どこか雰囲気がおかしい・・・



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なーんと、耐震補強工事のため休館中!

これは残念、かなり残念。



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第十二師団司令部跡の碑。


周辺には筆塚、花塚といった石碑や、響灘の海底から引き上げられた珪化木の展示も ↓

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約4000万年前のものらしい



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砲門。

てっきり幕末の長州藩が小倉藩を攻めたときに使ったもののレプリカでも置いてあるのかと思ったが、説明板によると大正13年製の野戦重砲を復元したものであるということです。第十二師団司令部関連のものですね。
考えてみれば攻められた側が相手の武器なんか展示しておくわけありませんよね。
砲弾も幕末期の鉄球でなく近代の砲弾です。



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着見(つきみ)櫓。
櫓上にて沖からの通航船を監視した櫓。木造三重二層の構造で、当時の場所にそのままの姿を再現している。現在は「漬物処糠蔵」として営業中。

小倉は全国的に最もぬか漬けが根付いた土地柄ということですが、その由来はぬか漬けが盛んな信州松本を統治してた小笠原忠真が大変ぬか漬けを好んでおり、小倉城入封の際にもぬか床を持ち込み、城下の人々にもぬか漬けを推奨したことに始まるようです。



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石垣と水堀。美しい。

正面奥には二の丸の松本清張記念館。先ほどとは逆側からの光景。



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石垣。

野面積みでこれほどの高石垣を築いているのは珍しいのではないでしょうか。
戦国大名で乱世を知る細川忠興の自慢の一つだったと言われています。



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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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