FC2ブログ

記事一覧

長岩城① ~大友宗麟・黒田長政と戦った城~

城マニアの中でも、知る人ぞ知る長岩城
石積櫓へ向かう道の危険さ、そしてそれをもはるかに上回る弓形砲座への道の危険度はもはや伝説級。

→先行して公開した「長岩城弓形砲座について思うこと」参照

2014年9月時点において、弓形砲座まで危険地帯を通過してまともに到達したという記録を私は確認していませんでした。当時の私は多少本格登山に足を踏み入れていたこともあり、それなら自分が危険地帯を突破してやろう、という意気込みがあったことは事実です。

私の山城の攻城スタイルは完全に単独行に特化しています。単独での山攻めは集団行に比べ無理がきく反面、危険度は格段に高まりますが、保護者同伴の子供じゃあるまいし、大の大人が連れだってぞろぞろと城攻めをするというのはどうしても生理的に受け付けません。


が、この城に関しては単独行での無理は死に直結します。


この城を攻略するには十分な時間と十分な装備、そして複数人で登ること。できれば現地をよく知るガイド同伴ならベスト。ただし仮にガイドさんが同伴した場合、絶対に危険地帯を通過することは許されないことでしょう。

・・・というのはおいおい述べていくことにして、さっそく登城記をば。



P9280470s.jpg P9280477s.jpg
R212からr2へ入り、ひたすら奥地へ進む。すでにだいぶ時間が押してしまっています。

これほど若番の県道なのに、二車線になったり狭路になったりと安定しません。と言っても対向車は1台も来なかったので、比較的快適に目的地近くの永岩小学校に到着。時刻は16:05。
杵築出発時のナビの予想到着時間が16:45だったことを考えれば、かなり時間を稼ぐことに成功しました。
40分もあれば比高200mほどの通常の山城なら往復できる自信はあります(相当疲れるモードですが)。
今の季節なら現時刻から1時間半は安全探索時間として確保できるし、最悪18時すぎまではまだ明るさが残っているので、最大2時間は探索可能ということです。18:15を過ぎると急激に暗くなるので注意が必要ですが、これだけ時間があればいくらなんでも十分なはず、とこの時は思っていました。



P9280486.jpg P9280481.jpg
城の幟が立ち並ぶ永岩小学校。現役の学校が持つ特有の生気というものがなく、かといって廃校と言うにはまだ生活感が残っているという不思議な雰囲気。

今調べたところ、平成26年3月31日をもって閉校したとのこと(ちょうど探訪時の半年前)。廃校ほやほや。
過疎化が超特急で進む地方の小人数小学校というのはどこもこのような状況なのでしょう。



P9280480s.jpg
縄張図もとい案内図

豊前国の守護職宇都宮信房は弟重房に下毛郡野仲郷を分与した。重房は姓を野仲と改め建久九年(1198)に長岩城を創築した。以後野仲氏二十二代、三百九十年間の居城となった。

この城は高い山や深い谷窪、岩壁等の天険の要害を取り入れ、石塁、砲座、塹壕等にて防備を補強した山城である。二十余ヶ所に点在する石塁の長さは、延七百メートル余に達する。戦国時代の山城としては、九州における最大規模のものであり、尚銃眼のある石積櫓は全国に類例をみない貴重な文化遺跡である。

野仲氏は次第に勢力を拡大し、下毛郡の政治軍事を掌握し、凡そ四百年間、下毛郡の統治者として栄えた。全盛時代の所領支配は、宇佐郡、下毛郡の一部にまで拡大した。その間、元寇の役や、玖珠城の戦、大友義鎮(宗麟)の耒攻等で下毛郡の勇者として強豪振りを発揮した。
然し天正十六年(1588)には、後藤又兵衛を先陣とする黒田長政の精兵三千五百騎の大軍に攻められ、迎え討つ長岩軍は城主野仲兵庫守鎮兼以下一族郎党七百余、与力雑兵八百余、合せ総勢千五百余、難攻不落を誇った堅城に楯籠り勇戦したが、多勢に無勢、遂に落城し、野仲一族は自決滅亡した。以後廃城となる。 (現地説明板より)




P9280487.jpg
敷地内にある城址碑

私が確認した限り、城址碑は県道沿いに一つと、永岩小学校敷地に一つ。
登城口から城内にかけては城址碑はありませんので、私のように城址碑を写真に収めることを重視している方は上記のどちらかの城址碑を発見しましょう(笑)



P9280492.jpg P9280490.jpg
来た道を100mほど戻ったところに最近整備されたと思われる駐車場があります。

トイレも完備。



P9280498.jpg
長岩城遠景

向かって右側が本丸のある山。
左側が問題の尾根。



P9280499.jpg P9280502.jpg
畦道を通り記帳所へ

「軍師黒田官兵衛ゆかりの地スタンプラリー」のスタンプポイントの一つとなっていたので、とりあえず押印。
良質のパンフレットもあるので入手しておきましょう。城内にも案内表示の類は充実しているので、普通に見学する分には道に迷うことはありませんが、パンフレットのマップがあればなお安心です。

そしていつもの通り記帳を。これで万が一遭難しても、遭難者がいることに気づいてもらえるだろうか。
う~ん、登山カードとは性質が違うから、気休め程度にしかならないな。

記帳所脇には登山者用の杖が置いてありますが、できるだけ軽装でいきたいので手ぶらで先に進みます。
結論から言うと、石積櫓方面まで見るつもりの人は、杖はむしろ邪魔になります。



P9280504.jpg P9280505.jpg
P9280506.jpg P9280507.jpg
津民川に架かる橋。防護柵は開けたら閉めましょう。



P9280508.jpg P9280509.jpg
橋を渡ると登城口。幟旗が立ち並ぶ登城路を進む。



P9280511.jpg
再び防護柵



P9280512.jpg P9280513.jpg
柵を越え、進行方向とは逆側にあるのが一之城戸。
弧を描く石塁が確認できます。

一之城戸は長らくその所在が不明でしたが、近年根石が発見され位置が特定し、復元されたものです。



P9280514.jpg
続いて二之城戸方面へ

この先の困難を、まだこの時は知る由もなし・・・



その②へ
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: