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臼杵城③ ~3層4重の天守櫓~

本丸ゾーンへ進みます。



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本丸と二の丸を隔てる空堀。
中央の土橋により北側堀と南側堀に分かれています。
写真は南側堀で、稲葉氏入城後に作られたもの。



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南堀の南側にわずかに残る通路。
正面は武具櫓跡。
算木積みの石垣が残りますが、季節が悪く草に覆われていて写真ではわかりにくい状況です。



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こちらは北側堀。
大友氏時代からのもので、初期には城道(登城路)としても使われていました。



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奥に見えるのは天守台石垣。
といってもこの季節では草に覆われていて、石垣なのか土の切岸なのかぱっと見では区別つきません。



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空堀を渡り本丸側からの様子。
左に見えるのは鉄門櫓跡石垣。
本丸入口にある鉄門は枡形となっていました。



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本丸部分絵図および本丸御殿指図。

本丸御殿は城下町や三之丸から離れ不便であったことから、延宝4年(1676)主な機能を二之丸(西の丸)御殿に移転しました。



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天守櫓跡。

二之丸側から空堀越しに見ると天守台の存在が確認できますが、本丸側から見ると高低差がありません。



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天守部分絵図および天守櫓・付櫓指図。

この場所に初めて天守櫓が造られたのは、豊臣秀吉配下の福原直高が城主であった文禄3年~慶長2年(1594~1597)頃である可能性が高いとのこと。外観3層・内部4階の天守櫓は稲葉氏時代に何度か修理された記録が残っており、改修により本丸北西隅部に建ち並んでいた付櫓群を一つに連結した事が判明しています。一種の連結型天守といえます。



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本丸内にある卯寅稲荷神社。

永禄5年(1562)大友宗麟が築城の際、城の鬼門にあたる卯寅口の外郭岸上に城の地主、丹生島明神として祭られたのが始まり。明治6年廃城のとき、現在の卯寅櫓に移され、卯寅稲荷大明神として信仰されています。
稲荷神社の中でも高位のものなんだとか。



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神社参道。卯寅口や港町通りへとつながります。
さすが高位の稲荷神社、鳥居の数多し。

なお港町から神社への参道は明治以降新たに開削された道で、往時の登城路ではありません。
そもそも明治以前にはこの参道の先は海でしたからね。



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城内に二基ある現存櫓の一つ、卯寅口門脇櫓。

外観は二層、内部は三重、外壁は漆喰下見板張り、屋根は切妻屋根。
重箱造りの構造で半地下式となっています。



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現在の櫓は、棟札から嘉永7年(1854年)に建てられたことがわかりましたが、17世紀前半の城絵図には既にその姿が描かれていることから、江戸時代の間に何度か建て替えられたと考えられます。延宝4年(1676年)ごろの本丸御殿指図を見ると、「御鉄炮薬櫓」と記されており、その機能も時期によって変わっていったようです。



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卯寅口門脇櫓から見た参道。



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同じく参道。

城とは直接関係ないけど、とても印象深い光景です。



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卯寅口門脇櫓からいったん下に降りると井戸があります(写真では草ぼうぼうですが)。

この井戸は寛永年間に掘られたもので、深さ10m以上あり水量も豊富で、海が近いにもかかわらず真水が出ていました。昭和25年頃までは大きな木製の滑車をつけて水を汲んでいたが、今は使われていません。

この場所は搦手口と呼ばれる城の裏門にあたるところで、井戸が設けられていたことから「井戸丸」とも呼ばれていました。搦手口にあたる卯寅口には海へ通じる「卯寅口門」や階段が設けられており、緊急時はここから船を出して海へ脱出することを考えていたようです。



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再び本丸へ上る。

本丸から見た卯寅口門脇櫓と井戸丸の様子。



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本丸先端、城域全体でも東の端にある亀首櫓跡。

かつて城島の先端には大きな岩があり、潮の満ち引きで、亀が首を出したりひっこめたりするように見えたことから「亀城」とも呼ばれました。その先端部分は「亀の首」と呼ばれ、それが櫓名の由来になったと思われます。



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海雲櫓跡。



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亀首櫓跡から眺めた臼杵湾。津久見島もよく見えます。

海岸線はだいぶ遠くなりましたが、この場所からは今でも海城の雰囲気を偲ぶことができます。



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所在:大分県臼杵市臼杵
評価:★★★★

真百名城選定候補の一つ。予備知識ほとんどなしで訪れましたが、とても楽しめた城でした。整備に力を入れていることも随所からうかがい知ることができましたが、いかんせん9月末という暑い時期であったのが祟り、あちらこちらで草まみれになっている部分が多かったことが惜しいところでした。城めぐりは冬場に限ると改めて実感した次第です。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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