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都於郡城② ~伊東マンショ生誕の地~

本丸の一部分について発掘調査を行った結果、多数の柱穴が検出され、伊東氏が在城した240余年間、建造物が何回となく建築補修されたと考えられています。また、16世紀前半に輸入されたと思われる中国製の磁気片も多数出土しており、南方貿易にも尽力していたことが推察されます。この時期は飫肥地方にも勢力を伸ばした10代城主伊東義祐の時代にあたります。


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鳥瞰縄張図

この城は城域が広い反面パンフレットやマップが備わってないので、こういった図は一番重宝します。
この後デジカメに記録したこの図を所々で見返しながら城内探索を行うことになります。



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天正遣欧少年使節で知られる伊東マンショの像。
この人物の生誕したのがここ都於郡の地であるといいます。

伊東満所(マンショ)は、都於郡城主伊東義祐の外孫として、1570年(元亀元年)ごろ、城内で生まれました。1577年(天正5年)12月の豊後落ちの時には、苦難の末、日向山地(西都市東米良の尾八重など)を踏破したと思われます。
満所は、豊後臼杵の大友宗麟のもとに滞在の後、有馬の神学校に入学しましたが、13歳の折、九州のキリシタン3大名の使節をローマ法王庁へ派遣することになり、その遣欧少年使節4名の正使として1582年(天正10年)2月、長崎港を出帆しました。
一行は、ポルトガル、スペインを経て、ローマでは教皇グレゴリオ13世に謁見し、ヨーロッパでは各地で大歓迎をうけました。
ここに、日本人として最初に渡欧した伊東満所(マンショ)を末永く顕彰するため、浄財をもって銅像を建立(こんりゅう)しました。(説明板参照)

 


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本丸北側中央付近にある仕切り土塁。
用途は不明。



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本丸は非常に広く、大きく南北に二つに分かれています。
この写真は北半分の、さらに北側部分を撮影したもの。これで本丸全体の1/3くらい。
周縁部には比較的良好に土塁が残っています。



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北側に目をやると、スゴイ堀を隔てて対岸に郭が見えます。先ほどの絵図によると奥ノ城。

土の塁壁面というのは実際は急角度でも写真だと実感覚ほど急峻には写らないものですが、この城は写真でも十分急斜面を表現できています。それほど急勾配な塁壁ということです。実際に現地を探訪するとこの写真以上に急峻な感じを受けることになるでしょう。



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無理して堀底に降りました。左奥ノ城・右本丸。
堀底は通路になっていて、各郭へ移動することができます。
というか主要な五つの郭はそれぞれ堀によって完全に独立しているので、直接移動することはできません。
かならず堀底を経由して上り下りしなければならないため、意外としんどいものがあります。

男の子ぞと
 満所生まれし奥ノ城
  生声(うぶごえ)たかく 海を渡れと


「うぶごえ」って普通「産声」と表記しますよね。
「生声」だと「口パクじゃない肉声」という意味になりそうですが。



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奥ノ城虎口

開口部正面に土塁を設置する方式。



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奥ノ城

城主一族の大奥として、奥方や侍女をはじめ家族の住居があったといいます。
天正5年(1577)12月落城の際には、一族は家臣とともにこの奥ノ城から豊後へと落ちのびていきました。
その中に伊東満所も含まれていたのでした。



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奥ノ城残存土塁

郭の南半分の周縁部によく残っています。



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周辺は切り立っており、見事な要害地形であることを確認。

堀底へ戻り、今度は西側(三ノ丸)方面へ。



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二ノ丸(左)と三ノ丸(右)を隔てる堀。

堀幅が狭く深さがあるため、堀底を通ると両側からの圧迫感を強く感じます。



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主城域の西側にある曲輪群へ向かいます。

右手の塁壁は三ノ丸下曲輪。正面塁壁が西ノ城。



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西ノ城への登り口

西ノ城
 斥候城とも言い伝え
  落日遠く 霧島望む




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西ノ城

空堀を隔てて三ノ丸の南隣にある郭。三ノ丸とともに眺望絶佳の地であり、別名斥候(ものみ)城とも言い伝えられています。外敵からの侵入に備える役割があったと考えられています。



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西ノ城から見た東側の光景

眼前には三ノ丸下曲輪、その奥には堀を隔てて長大な二ノ丸塁壁が見えます。



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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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