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都於郡城① ~伊東四十八城本城~

都於郡城は南北朝時代から安土桃山時代にかけて日向国に割拠した伊東氏の城の一つ。

1335年(建武二年)、足利尊氏より都於郡三百町を賜って日向に下向した伊東本宗家の祐持による築城といわれ、一国人領主にすぎなかったころよりの本拠でもある。

城は高さ100mの丘陵に築かれた本城、周囲に支城(日隠城東城泉城高城向城)を配し、その間を堀や池を巡らすという中世式城郭の典型的な様式である。なお本城から峰続きに1.3km東方に日隠城があり、大規模な城域を誇る威容は、西国でも有数のものであった。本城は本丸、二ノ丸、三ノ丸、奥ノ城、西ノ城といった五つの曲輪から成り立っている。

祐持の子祐重の代に大修築が加えられた。『日向記』によれば、「夫より都於郡を経営せんとて弥(いよいよ)家風を定む。大形の指図様体究って、先普請に可入。具足或(あるいは)鍛冶番匠を召集め夜を日に続て急ぎけり。弥精力を励まし吉日を撰て御移住なり。其外、先規の如く馳集(つどい)て門前に市をなす。近習、外様、馬廻以下の屋敷割有しかばさしもに広き山上山下も更になかりけり」とある。

城は幾度かの兵火に焼けたが、1504年(永正元年)3月21日、城中からの失火によって城外まで延焼し、建物器物の大半を消失したこともあった。

伊東氏は後に日向国の大半を領して、伊東四十八城と呼ばれる48の城を持ったが、都於郡城佐土原城とともにその本城として栄える。 1577年に伊東氏が島津氏により一時没落すると島津氏の支配下に入った。1615年(元和元年)江戸幕府の一国一城令により、都於郡城は廃城となった。(wiki参照)




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2000年に国史跡に指定された都於郡城。今回の旅でぜひとも訪れておきたかった城の一つです。

都於郡小学校の手前に大きな案内表示と説明板があります。背後に見える高台の上に小学校がありますが、ちょうどその高台付近が向ノ城と呼ばれる曲輪の跡といいます。



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説明板



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ゆるぎなき 四十八城国栄え
   威風四隣に ひびき渡りて




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犬の馬場跡                  大中寺跡

絵の如く 堀跡残る大中寺
   栄枯の姿 水に写して


周辺にも関連史跡は点在しています。



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伊東四十八城(部分)
緑で示されているのが四十八城。赤が牙城(本城)。

四十八城制覇の旅もいつかしてみたい。



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周辺案内図

要点がまとまっていて見やすい案内図ですが、駐車場周辺の道の表示が少しあやしいので注意が必要。
というのも、実際ここで私はかなりタイムロスをしてしまいます。


 
P9270186.jpg
駐車場先の分岐路。
「←五城郭跡」の表示があるのはわかっていたのですが、そもそも五城郭ってなんだと。

「五城郭」=「都於郡城の中心を構成している五つの郭」であり、これまでの説明板の内容を読んでいればそのことに気づいたはずなのですが、私は現地では時間短縮のためほとんど説明板の文章を読み飛ばしているので、その認識はありませんでした。むしろ逆に、周辺にいくつもある城以外の関連史跡の一つかなくらいの認識でした。

案内図と照らし合わし、左の道は分譲地に向かう道であると判断。



P9270187.jpg P9270188.jpg
P9270189.jpg P9270190.jpg
案内図からはまっすぐ進むのが一番正解っぽいですが、見方によっては右手の道を進んで左手側に城があるようにも見えます。
地形的に右側の道が怪しく感じたので、まずは右へ。

右上の写真、左手側が城の入口かと思い、覗いてみたら廃墟があった。
先へ先へ、ひたすら進む・・・



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P9270194.jpg P9270196.jpg
「郷学所跡」の表示はあるも、城に辿り着ける気配なし。
ついに祠(*)に突き当たり、さすがにこの道は違うと引き返します。

ふりだしに戻る。



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続いて本命の「中馬場跡」とある中央の道へ。
左右に城の入口を探しつつ進むも、何の表示も見つからず。

奥へ進むも、またも祠(*)に突き当たって撤退。



都於郡城
上記の2つの祠はそれぞれこの地形図の1・2のあたりにあったものです。
赤矢印が分岐点。上の案内図と比較すると、矢印付近の道の書き方に不備があります。
ちなみに3は大中寺跡の標柱があったところ。


そんなこんなでようやく城に到着。かなり余計な時間と体力を消耗してしまいました。
ここでの時間の消費が本日最後に大きく響いてくるのですが、それはまた後ほど。



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たどり着いたのは本丸下の塁壁。

立派な石碑を見て気力回復。



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どこかで聞いたことがあるような。



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本丸虎口                      屈曲が見事



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本丸



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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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