FC2ブログ

記事一覧

佐土原城③ ~日本最南端の天守台~

本丸の中央に碑や設置物があるのですが、周辺に所々沼地になっている部分があり、迂闊に近づくと悲惨なことになります。膝丈以上の長さにまで草が覆い茂っているので、下の様子が余計にわかりません。



P9270117.jpg P9270118.jpg
沼に注意!                            本丸標柱



P9270119s.jpg
本丸なのでカラーイラスト。
戦時には本丸で指揮を執るが、平時には麓の居館で生活していると、きちんと説明しています。
子供向けの歴史漫画ってかなり正確な内容を伝えているものが多いのですが、それでも天守最上階に殿様が住んでいたと思っている大人が今でも多いのは、幼少期の読書量の問題か、インチキ時代劇の影響か。



P9270121.jpg
膝丈どころか、1mはある下草。進攻は困難。

後日知ったことですが、本丸裏手にもう一つ「本丸の尾根続き」の説明イラストがあったようですが、草に埋もれていたためか気づきませんでした。なお鶴松館で入手した「山城に登ろう!」という手刷りの資料に、この城に設置されているすべての説明イラストの本文が記載されています。



P9270123.jpg P9270125s.jpg
本丸中心からやや北側の隅にそれる部分に、草に覆われた中でも盛り上がりが確認できるところがあります。
天守台の跡とあります。

九州南部の島津領には天守のある城は存在しないというのが元来の認識でしたが、古い文献や絵図からはこの城には天守(複層櫓)があったことが認められていました。発掘調査をしたところ、絵図の位置に天守台跡が確認され、島津領内で例外的な城となっています。



P9270124s.jpg
江戸時代に書かれたと思われる佐土原城を描いた屏風には二の丸とおぼしき場所に立派な鯱を持つ三重の櫓が見られる。「南九州には天守のある城は無い」「天守は本丸にある」というのが常識と思われていたため、この屏風の信憑性が疑われていたが、1995年(平成9年)の発掘で天守台跡と金箔瓦の破片が見つかり、佐土原城には天守に当たる建物があったことが確実となった。
島津忠興が佐土原藩政庁を城の麓に移したときに廃棄された。
天守は、伊東義祐が城を整備した頃に作られたという説もあるが、豊臣政権下の島津豊久の時代であるという説も、徳川政権下の佐土原藩の時代ではないかという説もあり、今後の出土物の調査や文献の発見に期待がかけられている。現在の天守台跡からは伊東時代の瓦や、それよりも新しい時代の瓦が混在して出土しており、はっきりしたことはわかっていない。

(wiki参照)

佐土原城は平成16年に新たに国史跡に指定されていますが、この発掘調査の結果によるものも大きかったのではないかと思われます。



P9270128.jpg
天守台残存石垣。
冬枯れの季節ならもっとはっきりとわかることでしょう。



P9270129.jpg P9270131.jpg
本丸から下城すると、一部ルートが通行止め。
崩落および倒木箇所があるためという。
しかしここを通らないと同じ道で帰ることになるので、ちょっと行かせてもらいますよ。



P9270133.jpg
少し通りにくいところや、



P9270135.jpg
ちょっと倒木箇所がありますが、普通に通れます。



P9270136.jpg P9270139.jpg
そんな感じでずっと下ると麓に到着。

少なくとも私にとっては藪化もしていない道は特に問題に思うことはありませんが、これはかつて道なき山の斜面を直登・直降することを常道としてきた過去があるためで、一般の方がどう思うかはわかりません。



P9270140.jpg P9270142.jpg
入口も通行禁止の表示。
これが危険なら普通の登山なんか超危険すぎてどこも即刻入山禁止にしなければならないってことになってしまうので、こういうところの危険表示はそこに勝手に入ってケガしても管理者の責任が免除されますよという側面の方が強いのでしょう。通行禁止のところを通行することを推奨しているわけでは決してありませんので、念のため。そもそも安全上の問題でなく権利上の問題で進入禁止になっているところも多いので、そういうところに侵入すると自己責任云々でなく普通に違法行為で処罰されます。



P9270143s.jpg
ちなみにこの場所は本丸方面への搦手口であると同時に、城域全体で見ると居館部分をU字型に取り囲む山地部分のほぼ中央にあたり、縄張り的には裏口を守る重要な場所です。
そのため番屋坂、鴫ノ口という名も残っています。



P9270144.jpg
その①で紹介した出土文化財管理センターが見えてきました。



P9270148.jpg
山城へ向かう第三の道、「中道」。
大手道と搦手道の中間にあります。



P9270145.jpg
このあたりは江戸期に入り城の中心が平地部分に移されたことにより、役所的な機能が強くなったところです。

「御馬繋場跡」



P9270150s.jpg P9270164s.jpg P9270167s.jpg P9270169s.jpg
「反米役所跡」   「御普請所跡」   「御代官所跡」   「御厩役所跡」



P9270149.jpg
藩政期を通じてこの地方の政治の中心だった場所も、月日が流れ田園と化したのでした、



=============================================
所在:宮崎県宮崎市佐土原町上田島
評価:★★★★

鶴松館や文化財管理センターで、無料であれだけの展示物を公開しているという点でまず◎。転落して頭を打ったこともいい思い出です。城内に表示物が多いのも◎。日本最南端の天守台を持つ城ということも印象深く、トータルで高評価となりました。
佐土原城についてより知りたい方は、こちらのページをご覧ください。とても詳細にまとめられています。
=============================================
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

05 | 2020/06 | 07
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: