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大隅国分寺跡

国分小学校の西側に、石塔などが建っている広場があります。



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大隅国分寺跡

聖武天皇の命で全国におかれた国分寺の一つ。
発掘結果から奈良時代末期から平安時代初期に建立されたと思われる。早くに衰微し、幾度か再建はされたものの元禄年間の再建が最後で、明治2年の廃仏毀釈で廃寺となった。
1921年(大正10年)3月3日に大隅国分寺のものとされる石塔など周辺が国の史跡となった。また、数回の発掘調査で創建当時の物と思われる奈良時代の形式を持つ瓦が出土した。が、跡地は市街地となっているため薩摩国分寺と異なりまとまった発掘調査はいまだ為されておらず、規模や伽藍配置などの詳細は全く不明である。
現在、旧国分市公民館分室の駐車場になっており、駐車場の真ん中に「康治元年(1142年)壬戍11月6日」銘をもつ石造六重塔と仁王像が建っている。これが大隅国分寺のほぼ唯一の遺構である。

(wiki参照)



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ほぼ唯一の遺構とされる石造六重塔。

国分寺は、国府に近く、南に開けた小高い場所で人々が参詣しやすい閑静な場所に建立するように命じられており、この地に設置されました。
舞鶴城築城に伴う城下町の整備や明治初年の廃仏毀釈によってほとんどが破壊されたといいますが、康治元年(1142年)に寺の再興を祈念して多重層塔が建立されたということは、そのころすでに荒廃が進んでいたのでしょう。

まとまった発掘調査がされておらず、伽藍配置なども不明とのこと。今後の調査が待たれます。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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