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平山城 ~初代城主が植えた大銀杏が今も残る~

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帖佐麓にあった説明板の案内図より。

高尾城から東へ進むと、本城である平山城に至ります。高尾城からの道は一か所だけ分かれ道がありますが、「八幡神社・桜公園」の表示が出ている右手に進めばOK。



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神社下に到着。専用駐車場もあります。
これまでの細道がウソのような十分なスペースです。

鳥居脇には「平安城跡」と記された古びた標柱が。



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道路を隔てて南側は現在桜公園として整備されています。
地形的に見ると道路が堀跡で、桜公園部分が南側の曲輪であることを感じ取れます。



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神社参道を進むと、社殿前に立派な大銀杏があります。
「帖佐八幡宮の大銀杏」です。

大銀杏は高さ14.5m、樹幹目通り7.1m、根回り11.4m。石清水善法寺了清(平山了清)が平山城を築いて、城内に八幡宮を創建した弘安5年(1282)頃に植えられたとされ、樹齢約700年といわれます。昭和38年に姶良町天然記念物に指定されました。



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城址標柱

1282年(弘安5年)頃、京都の石清水八幡宮から下向した善法寺法印了清が築城したといわれている。
善法寺了清は、石清水八幡宮の祠官の一族であったが、当時、石清水八幡宮と関係が深かった大隅正八幡宮(鹿児島神宮)領の帖佐郷平山村の領家職として、石清水八幡宮の神璽を奉じ、一家眷族、僧侶、医者、大工、染師、土器師等873人を率い、船で帖佐松原八幡江湖に到着した。更に別府川 を遡り、清泉が湧き出している折橋山山上を社地に定め、鍋倉八幡神社(帖佐八幡神社)を創建した。大隅正八幡宮に対して、新たに勧請した八幡ということで、「新正八幡宮」と称した。了清は、八幡の脇に、平安山八流寺増長院を別当寺として建立した。更に神社の西に平山城を築き、地名から平山氏を名乗った。
城内は、十四の郭(本丸、中丸、平安城、荒神城、鶴丸城、松尾城、小城、櫓城、賀茂城、東城、玄蕃城、南城、高尾城、引陣)からなっており、堅固な山城であった。城中鎮護を祈念するため、八幡、伊勢、折橋、賀茂、春日、日吉、諏訪、天神、祇園、稲荷の諸神を城内に祭り、仏寺として、阿弥陀寺、観音寺、西福寺を建立した。他に熊野三所権現を勧請して平山権現と呼んだ。
平山氏は帖佐郷各地に出城(甑城茶臼城古城高城平松城等)を築き一族(平松氏、平瀬氏、高城氏、中津野氏、餅田氏、甑氏、松元氏、市成氏、小城氏、小川氏、木幡氏、若松氏、有村氏等)を配し帖佐郷を支配した。

(wiki参照)

これによると高尾城平山城の郭の一つとみなされているようです。



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本殿付近から振り返って

大隅国の守護であった島津氏と平山氏は養子縁組を行っており、当初は行動を共にしていたが、次第に対立するようになり、享徳年間(1452~54)に島津氏第9代島津忠国の弟、島津季久が、平山氏第9代平山武豊を討って帖佐郷を領有した。敗れた平山氏は指宿へ、一族は鹿児島の武村へ移された。季久は、別府川の対岸に瓜生野城建昌城)を築いて居城とし、平山城には次男の忠康を配し、平山氏の名跡を継承させた。また、季久の三男の満久は隣郷の加治木氏の養子とし、季久の威勢は近隣に及んだ。
1495年(明応)4年、島津氏は、川上忠直に帖佐郷邊川村を与え、忠直は邊川氏を称した。同年、加治木領主、加治木久平が島津氏に叛き、平山城の南城を攻め取った。その時、邊川忠直は高尾城を固守した。島津忠昌は加治木久平を攻め立て、久平は敗退した。忠昌は忠直の功績を賞し、帖佐地頭に任じた。
1526年(大永6年)、出水領主、島津實久が島津氏に叛し、忠直はこれに組し、帖佐郷に新城を築くとともに、平山城にこもった。島津忠良は、島津勝久の命により、新城及び平山城を攻め、島津實久の一族である島津安久及び忠直を討ち取った。そして、島津昌久を地頭とし鹿児島へ戻った。しかし、昌久は、加治木領主、伊地知重貞と謀って島津氏に叛いたので、忠良は、加治木を攻め重貞を討ち、平山城の昌久も討った。そして、伊地知重辰を地頭とし、重辰は新城へ入った。
1529年(享禄2年)、島津氏と対立する有力国人であった祁答院重武が、重辰を討ち、重武・祁答院良重と親子2代に渡り帖佐を領したが、1555年(弘治元年)、島津貴久は良重を攻めこれを祁答院へ敗走させ、鎌田政年を地頭とした。

城址には、新正八幡宮が鎮座しており、その社頭には初代城主平山了清が植えたという樹齢700年を超える大銀杏が現存し、姶良町の天然記念物に指定されている。神社の前方の南城址付近は桜公園として、整備されている。

(wiki参照)



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社殿の様子

「三十六歌仙額(市有形文化財)」「浜下り(市無形民俗文化財)」



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社殿周囲の空堀

平山城はwikiによると14の郭、現地標柱では大小30の曲輪から構成されているといい、東西南北に空堀が走っています。人為的な空堀だけでなく自然浸食谷も利用しており、島津領内に多い群郭式の城郭といえます。シラス台地の影響も大きいのでしょう。ただ多くの曲輪は山林・藪化してしまっています。



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神社西側、平安城(単独の城ではなく平山城の主要な郭の一つ)を指し示す表示の先はやはり藪。
頑張って堀底まで下りてみましたが、樹海に埋もれて遭難の恐れがあったので退却しました。



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所在:鹿児島県姶良市鍋倉
評価:★★

特段目を引く遺構というものはありませんが、表示物の類が充実していることと、城の規模の大きさが感じ取れた点がプラス。城域のほとんどが全くの未整備であることがかなりマイナス。しっかり整備されれば同じ群郭式城郭である知覧城のような見ごたえのある城になるかもしれません。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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