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宇土古城 ~古代居館も眠る国史跡~

宇土城の西500mほどにある丘陵の上に築かれていたのが宇土古城です。
丘陵中腹の無料駐車場まで車で行くことができます。



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やりました。ここには日陰があります。
駐車環境は攻城の精度にもかかわってくるほどの重要な問題。
日陰に駐車できると落ち着いて探索することができます。



P9250526.jpg
説明板発見。
この城国指定史跡なんですね。駐車場環境もいいわけです。

宇土古城は、宇土氏によって西岡台と称される独立丘陵に築かれ、中央の迫地を挟んで東に主郭となる千畳敷(せんじょうじき)、西に三城(さんのじょう)という連郭式の体をなしている。東の千畳敷の周囲は横堀で囲まれており、北から東にかけての斜面には複数の竪堀が穿たれていた。近年、千畳敷と呼ばれる曲輪跡から多数の掘立柱建築の痕跡と、東側に城門遺構が発掘されており、一部の遺構については復元表示してある。
1998年(平成10年)、千畳敷の北側に掘削作業途中の横堀跡が検出され、当時の土木作業工程・技術を示す貴重な事例となっている。さらに、城門遺構付近の横堀からは100点を超す石塔の部材が出土しており、同城の廃城(城破り)に伴って念入りな儀式が行われたことを窺わせている。 また三城の南西側には、幅約10メートル、全長約300メートルの空堀が存在している。
西岡台の正確な築城年代は詳らかでない。一説には永承3年(1048年)、関白藤原道隆下向の際に築かれたという。南北朝時代の城主、宇土高俊は終始南朝方に呼応し、隣の郡浦荘を押領するなど、宇土半島を中心に活動した。
室町時代後半、宇土忠豊の養子として肥後国守護の菊池氏から宇土為光が入る。その為光は文明16年(1484年)・明応8年(1499年)と守護職押領を企てるが失敗する。文亀元年(1501年)、為光は3度守護職押領を企て、ついに成功し肥後国守護となる。しかし文亀3年(1503年)、亡命していた菊池本家の22代菊池能運の反撃に遭い、西岡台へ籠城するが破れ、殺害された。西岡台には菊池氏家臣の城為冬が入城するが、永正元年(1504年)に能運が急死すると城氏は没落し、空城となった西岡台には為光の娘婿である名和顕忠が入った。名和氏はその後約80年間にわたり西岡台の城主となるが、天正15年(1587年)に行われた豊臣秀吉の九州征伐に際して名和顕孝は秀吉に降伏するが、同年に起きた肥後国人一揆に際し、中立を保ったことを釈明すべく大坂へ赴いた際、城代となった弟の名和顕輝が秀吉軍の開城勧告を拒否したため討伐されて、名和氏の時代は終わった。

(wiki参照)



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千畳敷と三城の二つの主要な曲輪からなる、いわゆる一城別郭の縄張りといっていいのでしょうか。
自然地形をうまく利用し、丘陵全体を城郭としているようです。



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(左)主郭(千畳敷)へ。階段が設置されている登城路の脇には、竪堀状の地形も見て取れます。

(右)途中数段の腰曲輪が設置されています。段差は大きくないので、防御力はそれほど高くはなさそう。



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主郭手前の土橋、横堀。
よく整備されており、「おおっ」と思えます。



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この横堀は、主郭をぐるりと取り囲んでいます。
壁面をコンクリート?か何かで固められているのが少々不自然ですが、整備上やむを得ないのでしょう。



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それでもここら辺の光景は「ザ・城郭」って感じですね。

説明板によると、虎口付近の発掘調査で、五輪塔や宝篋印塔といった石塔が大量に出土し、出土状況から堀へ意図的に投げ込まれたものと推定されています。石塔の投棄による「城破り」を具体的に示す貴重な事例として注目されているとのことです。



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主郭虎口。

木戸や木柵などいい具合に再現されています。



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同じく主郭虎口。

木戸の内側は折れの形状となっており、原始的な枡形と言えそうです。



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主郭(千畳敷)。

発掘調査により、掘立柱建物跡・柵列跡・門跡・井戸跡などが検出されています。
重なった状態で見つかった柱穴なども多く、何度も建て替えが行われていたことが推定されています。
また、瓦が出土しないことから、屋根は板葺もしくは茅葺であったと考えられています。



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いくつか建物跡の表示がされています。こちらは16号建物跡。

この千畳敷には、古墳時代前期に「首長居館」と呼ばれる豪族の住まいがあったといいます。
古墳時代の居館の壕跡は、概ね現在の千畳敷を取り囲む形と一致しています。
この首長居館は、九州の首長居館の中でも最大規模を誇ったそうです。



P9250537.jpg P9250538.jpg
復元建物だか東屋だかよくわからない建物が千畳敷に一つだけあります。
壁に向かっておいてあった木片に書かれていたのは「土足厳禁」の文字。
うっそー、こんなに汚れてるのに?せめて外側から見えるように置いておいてね。



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所在:熊本県宇土市神馬町
評価:★★☆

主要部分の構造は比較的単純で、要害性も高いとは言えませんが、丘陵全体で見ればそれなりの防御力を誇ったのかもしれません。千畳敷の整備状況も良好で、一年を通して訪問可能な城です。さすが国指定史跡。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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