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熊本城② ~西南戦争特別展~

いきなりですが、以下の漫画をご覧ください。

「腹がへるへる籠城戦」



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合掌!



さて、
田原坂国史跡指定記念 西南戦争特別展


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無料にしておくにはもったいないほどの力の入れよう。
しょっぱなの漫画も含め、これは予想をいい意味で裏切りそうな予感。



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パンフレット置き場には新島先生と八重さんが。



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いいなーこの絵柄。
若い世代やライト層を取り込む気満々ですね。



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展示室(櫓門内部)の様子。
かなり広く、木造ゆえ雰囲気もあります。
それ以上に展示資料が充実。



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薩摩軍vs政府軍 主な指揮官(階級はすべて当時)

薩軍
西郷隆盛(薩軍総指揮官/陸軍大将・参議)
桐野利秋(四番大隊長/陸軍少将)
篠原国幹(一番大隊長/陸軍少将)
村田新八(二番大隊長)
別府晋介(六番七番連合大隊長/陸軍少佐)西郷を介錯
池辺吉十郎(熊本隊隊長)

政府軍
有栖川宮熾仁親王(征討総督・陸軍大将)
山縣有朋(参軍副司令官・陸軍中将)
野津鎮雄(第1旅団司令長官・陸軍少将)
山田顕義(別働第2旅団司令長官・陸軍少将)初代司法大臣・吉田松陰の弟子
山川浩(別働第2旅団参謀・陸軍中佐)八重の桜でおなじみ
乃木希典(歩兵第14連隊長心得・陸軍少佐)
寺内正毅(近衛歩兵第1連隊・陸軍中尉)田原坂の戦いで負傷



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熊本鎮台司令長官 谷干城(当時少将) vs 薩軍大将 西郷隆盛!



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田原坂の戦い
 
植木・玉東戦 明治10年3月4日~3月7日布陣状況。



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「田原坂の記憶」

雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂

山に屍 川に血流る 肥後の天地 秋さびし

(民謡 田原坂)



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桐野利秋。人切り半次郎のオーラ出てます。

束野孝之丞。田原坂の美少年。

右手に血刀 左手に手綱 馬上豊かな 美少年



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「馬上豊かな美少年」のモデルとして、薩軍の村田岩熊や人吉隊の三宅伝八郎、熊本隊の高橋長次などがあげられています。束野孝之丞も含めみな15歳程度の少年でありました。


そのほか手元のガイドマップにあるエピソードについて。

Ⅰ 「河原林少尉はおるか!」
連隊旗事件。乃木希典生涯における最大の痛恨事。

Ⅱ 「あの外套を撃て!」
名将・篠原国幹の壮絶な死。

どちらも有名なエピソード。



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「ただいま籠城中!!」

籠城軍には熊本鎮台司令長官・谷干城少将のほか、樺山資紀中佐(後の海軍大臣)、児玉源太郎少佐(後の陸軍大臣)、川上操六少佐(後の参謀総長)、奥保鞏少佐(後の陸軍元帥)といった後世の大物が参加していました。逆に言えばこの籠城戦を戦い抜いたことが大きな勲章となり、みな出世街道を驀進したのでしょう。

このふすまには「籠城あるある」と称していくつものエピソードが掲載されています。
兵糧が減少が目に見えると士気にかかわるため、会計官吏はできるだけ後ろの方から米を運んで、正面には立派な米俵を常に積んでおいた、という話の他にも、
・内助の功
・粟飯最高!?
などなど。



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射撃用標的やら何やら。

「西南戦争征討軍将兵軍装図解」というものがあるのですが・・・



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モデルがスタイルのいい女性になってるのはなぜか。

ちなみにこちらは明治10年征討旅団出動時の軍装。



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こちらは警視隊将兵軍装。

左から陸軍少将兼大警視、四等巡査、一等少警視。
スタイルがいいから大警視も四等巡査も大差なく見えてしまう。



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警視隊コスプレコーナー(ただし帽子だけ)。

斉藤一、人気ありますね。



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「近代ヒューマニズムは熊本から始まった!」

日本での赤十字の誕生は、明治10年(1877年)の「西南戦争(西南の役)」にさかのぼります。
日本で初めての近代戦となった「西南戦争」、激戦地となった田原坂一帯(熊本県植木町)では、たくさんの負傷兵が戦野に倒れました。
この様子を知った佐野常民(元老院議員)は、当時ヨーロッパで既に活動していた赤十字のような救護組織を創ろうと、同志とともに政府に「博愛社」の設立を願いでました。
しかし、「敵味方の区別なく救護する」という願いは、既に開戦中でもありなかなか認められませんでした。
そこで、佐野は意を決して熊本に赴き、官軍の司令官(征討総督)である有栖川宮熾仁親王殿下に直接願いでて、とうとう設立の許可を受けることができました。
これが明治10年5月3日のことです。結社を認められた「博愛社」は救護員を確保し、晴れて熊本の地において、敵味方の差別なく、官軍・薩摩の負傷者の救護にあたりました。
つまり、博愛社(後の日本赤十字社)は、熊本で誕生の声をあげたのです。

(日本赤十字社HP参照)

日赤関連でAKBのパネルが乱立していますが掲載省略。



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厳しい戦いだった・・・

ん?竜馬?



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やばい。一つの櫓の中だけでこれだけ時間をとられるとは。
先が思いやられてしまう。
(これでも大量の写真の中から選抜して掲載しています。)



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最後も新島先生と八重さんで。


展示室から出るとき、係員のおじさんから呼び止められる。

係「本丸の方はもう見てこられました?」
私「いえ、これからです。」
係「でしたら、宇土櫓は見逃さないようにしてください。一番価値のあるところですからね。」

私「言われるまでもない」ウソ、言うわけない。
私「わかりました、どうもありがとうございます。」
係「いえいえ。」

・・・
それにしても。


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このネコさんかわいすぎでしょう。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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