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熊本城① ~別格の城~

9月25日(晴れ)。九州遠征5日目。

お待たせしました。
超メジャー城郭、日本三名城の一つ熊本城に登城です。

熊本城にはこれで3度目の登城になります。一度行った城には極力再訪しない(*注)私としては例外的な城になります。ただし1度目の登城は幼少時で記憶はほとんど残っておらず、2度目は中学時代の家族旅行時で、その時は城内をくまなく見て回ったわけではありません。前の2回はいずれも自力で城めぐりを行う前の登城なので、自力登城は今回が初となります。また、前回登城時にはなかった建物群が現在多数復元されているようなので、気分はほとんど新規登城に近いものがあります。
(*注:何度も言うようですが、これは1度行けばもう見る必要がないということではなく、メジャーマイナー問わず未訪の城を訪れることを常に最優先事項にしている私の基本方針)

ちなみに自力で城めぐりを行うようになる前まで、私の一番好きな城はこの熊本城でした。現在は好きな城の基準というものが10代の頃とは異なっていますが、熊本城に対する別格的な思いは今も抱いています。

言うまでもなく見どころ満載の城なので、できるだけ簡潔をモットーに写真も厳選して掲載していきたいと思います(というか、そうしないといつまでたっても終わらなくなってしまう)。


この日は朝から熊本市街で所用があったため、登城に向かったのは11時を回ってから。
台風一過の青空の下、この日も午前中から気温がぐんぐん上昇。
季節はもうすぐ10月だというのに、既に30度を軽く超える暑さになっています。



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(左)国際交流会館付近。
この写真付近から現在の市役所に至る一帯が、花畑屋敷と呼ばれたかつての肥後藩の国許屋敷。
広大な御殿内の一角に設けられた庭園部分の名残りは、現在花畑公園となっています。

(右)清正公像のお出迎え。背後にはこの距離からもはっきり認識できる天守群。
手前の櫓は馬具櫓で、櫓下には下馬橋の跡もあります。馬具櫓から続く長塀は大きな見どころの一つ。


下馬橋の代わりに架けられた御幸橋から備前堀を右手に御幸坂を登り、二の丸駐車場に駐車します。
料金は最初の2時間200円、それ以降は1時間増すごとに100円追加。



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駐車場に隣接して広がる二の丸広場。

加藤清正が熊本城を築城した当時、二の丸には重臣屋敷が置かれていました。
細川氏時代になると二の丸には藩校の時習館が開設されます。
廃藩置県後は鎮西鎮台が設置され、その後陸軍学校や大学・高校の創立・移転を経て、現在の二の丸公園が整備されることとなります。



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1876年(明治9)に起きた明治政府に対する士族反乱の一つ、神風連の乱。
碑文にもある旧肥後藩の士族、加屋霽堅(かやはるかた)、斎藤求三郎ら、約170名によって結成された「敬神党」により廃刀令に反対して起こされた反乱で、この敬神党は反対派から「神風連」と戯称されていたので、神風連の乱と呼ばれています。

1876年10月24日深夜、敬神党が各隊に分かれて、熊本鎮台司令官種田政明宅、熊本県令安岡良亮宅を襲撃し、種田・安岡ほか県庁役人4名を殺害した。その後、全員で政府軍の熊本鎮台(熊本城内)を襲撃し、城内にいた兵士らを次々と殺害し、砲兵営を制圧した。しかし翌朝になると、政府軍側では児玉源太郎ら将校が駆けつけ、その指揮下で態勢を立て直し、本格的な反撃を開始。加屋・斎藤らは銃撃を受け死亡し、首謀者の太田黒も銃撃を受けて重傷を負い、付近の民家に避難したのち自刃した。指導者を失ったことで、他の者も退却し、多くが自刃した。
敬神党側の死者・自刃者は、計124名。残りの約50名は捕縛され、一部は斬首された。政府軍側の死者は約60名、負傷者約200名。
この反乱は、秩禄処分や廃刀令により、明治政府への不満を暴発させた一部士族による反乱の嚆矢となる事件で、この事件に呼応して秋月の乱、萩の乱が発生し、翌年の西南戦争へとつながる。

(wiki参照)


それでは中枢部へ向かいましょう。



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おっと、のっけからこれはすごいですよ。



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西出丸石垣。この長大な石垣の内側が西出丸。
前回来たときにこんな長塀あったかなあ。記憶があいまい。



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手元の図面だとここの堀は空堀表記になっているが、昨日の台風で水が溜ったのでしょうか。

一番奥に見える櫓は復元された戌亥櫓
木造二重三階の隅櫓で、建築面積約113平方メートル。西出丸の戌亥(北西)の方向に位置する。
平成15年8月に復元。建築費約4億6千万円。

戌亥櫓(いぬいやぐら)は西出丸北西隅にあった櫓である。構造は未申櫓と同一で、同時期に建設されたものと思われる。安永8年(1779)に修復が行われた際に、棟札に慶長7年(1602)完成、当時の名称は「大黒矢倉」と記載されてあったとの記録が残っている。鎮西鎮台が城内に入った後、司令であった桐野利秋の指示により西出丸は石垣ごと取り崩され、戌亥櫓も破却されている。平成15年に未申櫓と一緒に木造で復元された。
(wiki参照)



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両側を空堀にはさまれた土橋状(と言うには大規模すぎるが)の登城路。
木の陰になってしまったが、目の前の櫓は元太鼓櫓
木造一重一階の隅櫓で、建築面積約65平方メートル。
平成15年12月に復元。建築費約2億3千万円。



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西大手門枡形。
人物をスケール代わりに使うのは近世城郭での常道手段。



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西大手櫓門

<肥後に入国した細川忠利公のエピソードが残る西の大手門>

熊本城(西の丸)は西・南・北の3つの大手門を持ち、その中で最も格式の高い門とされます。寛永9年(1632)に加藤家に代わって肥後に入国した細川忠利は、この門の前で衣冠束帯(いかんそくたい)のまま駕籠を降り、敷居を押しいただくようにして「謹んで肥後54万石を拝領仕ります」と深々と頭をたれたと伝えられ、そのとき頭にかぶった冠の先が敷居の中央に当たったので、その後、登城する藩士は門の真中を通らず、端を通るようになったと言われています。

熊本城公式ホームページ参照)



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西大手門をくぐった先が西出丸
井戸も設置されています。

<敵の攻撃にあっても100日間は持ちこたえられる、と清正が豪語した西の防衛拠点>

熊本城の東は急峻な崖で、高石垣をめぐらしていますが、西はなだらかな斜面が続き、弱点となっています。そこで清正は西に2重の空堀を巡らせ、空堀の間に出丸を築きました。「西から敵に攻撃されてもここだけで100日は持ちこたえられる。」と清正が豪語したと言われています。つまり自分がどこで戦をしていようと、100日もあれば駆けつけられるということなのです。旧藩時代西出丸の北半分には「西の御蔵」という巨大な米倉が設けられ、南半分は奉行所が置かれていました。
熊本城防衛の要でもある西出丸の石垣が撤去されたことがあります。明治に入り鎮台が置かれ、後の司令長官桐野利明が帥だった時代です。西郷隆盛の右腕である桐野が将来の西南戦争を予見して石垣を取り崩したという人もいますが、これは少々穿ち過ぎというものでしょう。しかし戌亥櫓~西大手門に渡って積み上げられた高さ約10m、長さ約165mの膨大な量の石をどういう動機で、どこにどうやって運んだのか。誰もうまく説明できないのです。
現在の西出丸一帯の石垣は昭和45年(1970)から49年(1974)にかけて積み直されたものです。

熊本城公式ホームページ参照)



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西出丸の南半分にある曲輪は奉行丸
細川氏入国後、奉行所が置かれたことからこの名がついています。
周囲を南大手門・西大手門・元太鼓櫓・未申櫓などで囲まれた区画で、多くの藩士が公務を行っていました。
復元された上記建築物のほかにも「井樋方櫓」「御客方櫓」があったといいます。

掲載されている図を見ると、この奉行所もかなりの規模の建築物であったようです。



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未申櫓(ひつじさるやぐら)
木造二重三階の隅櫓で、建築面積約119平方メートル。西出丸の未申(南西)の方向に位置する。
平成15年8月に復元。建築費約3億円。

未申櫓は西出丸南西隅にあった櫓である。構造は戌亥櫓と同一で、同時期に建設されたものと思われる。鎮西鎮台が城内に入った後、司令であった桐野利秋の指示により西出丸は石垣ごと取り崩され、未申櫓も破却されている。平成15年に戌亥櫓と一緒に木造で復元された。
(wiki参照)



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南大手櫓門の内部で、田原坂国史跡指定記念の西南戦争特別展というものをやっているようです。
入館無料ということなので見学してみましょう。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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